補足

 という上の文章は感情だけで書いたものですが、例の女児殺害と容疑者、そして容疑者の妻の言葉が頭にありました。ただふいに書く気になったのは、録画していた「サムライチャンプルー」の第七話を見たから…というとても恥ずかしいきっかけだったことを告白。
 内容を簡単にいうと、女の子が掏りにやられて、でその掏りは病弱な母親を抱えている若い男で、境遇に同情した女の子は掏りを逃がしてやろうとする…というあらすじ。まあどこにでもある筋立てなのですが、自分がこれほどこの手のお涙頂戴に怒りを感じるようになっているとは思いませんでした。
 話の途中では、掏りの若い男(父親を亡くしている)が「こんな俺なんか雇ってくれるところはどこにもない。世の中金じゃないなんて言うのは余裕のある奴の言う言葉だ」とかもっともらしいことを言うのですが、ちっとも同情なんて湧きませんでした。
 母親の病気(労咳?)のために大金が必要になって、筋者から掏った「粉」(麻薬っぽい)を捌こうと考えたりするところもいかにもありそうでいやでした。自分は同情して欲しいくせに、その「粉」で不幸になるだろう人のことなんてこれっぽっちも考えていない。お話としてぐっと心をつかまれて感情を動かされたのではなく、こういう薄っぺらくて甘えた若い男がいかにもいそうでいやだったですね。


 不幸だから許してあげようという気持ちは、不幸だから自分を許すという言い訳を生みますし、不幸だから俺は許されるはずだという気持ちをもった馬鹿者を増やすことになると思います。そのぐらい弱いものだと思いますから、人の心は。
 情けをかけたとどのつまりがつまらない帰結に終わらなかったということだけは評価しますが、どうせお話じゃないかとスルーできないような、そんな気がちょっとしました。
(ということで上の日記は単なる愚痴みたいなものだったということです)