評価されるということ

 フィギュアスケートの選考が男女ともいよいよ佳境に入って参りました。浅田真央さんの扱いについても話題になっていますが、今朝のフジのとくダネでフィギュアの新しい採点方法が採り上げられていました。

 前回ソルトレークシティーオリンピックのフィギュア不正ジャッジ事件から、より透明性のある客観的な採点に変えられたというのですが(詳しくはこちらの採点方法の概略と変更点などを参照してください)、簡単に言えば技術点に関しては、一つ一つの技を弁別して基本点を細かく加算し、それに審査員の評価を平均して加減するという加点法となったということです。従来が一人一人の審判による総体的な評価(しかも順位点でつける)を集計したものでしたから、そこに主観やら何やらが反映するおそれもありました。新しい採点では妙な偏りはなかなか入れることができないはずです。
 この新採点法では、基礎点の高い大技を試すリスクが大きくなったとのこと。失敗して低い評価を受けた時の得点の落ち込みが顕著に現れるということです。と、ここまでは興味深く拝見していましたが、そこに挟まれた選手たちのインタビューやスタジオでのコメントには何か納得できませんでした。


 ひっかかったのは、「新採点法になって点数に拘らなければならなくなり、演技が思い切ってできなくなった」という選手たちの感想であり、それを嘆いてみせるコメンテイターたちの言葉でした。これはスポーツ関係者の間でも共有されている意見のようです。
 フィギュア 新採点法と自らの決断に苦しむ荒川


 フランス杯での荒川のフリーの演技は、得点以上の出来だったと思う。しかし、採点基準が細かい新方式は、ジャンプの回転数のように、スピンは何回転以上、スパイラルは何秒以上と規定がある。音楽に合わせた雄大な演技が持ち味の荒川は、音楽を意識する以前に回転数や秒数を数える必要があった。それが演技に微妙に影響した。
(中略)
 「今のフィギュアは、美しさを競うものではない。重箱の隅をつつくように、得点の出るプログラムを作らないといけない」と関係者は声を潜めて言う。客観性を重視した新採点方式で、本来あったはずのフィギュアの「美しさ」が失われつつある。


 新採点法ではリスクが大きい4回転


 その安藤の最大の武器といえば、言わずと知れた4回転ジャンプ。しかし、今季は世界選手権まで4回転ジャンプを一度も成功していない。肩や足、腰などに負傷が続き、10月に行われたグランプリシリーズ初戦、「スケート・アメリカ」の一度しか挑戦していないこともそうだが、大きな負傷でなかったにもかかわらず挑戦できなかった理由は、今季から全大会で採用されることになった「新採点法」による得点システムのためだ。


 個々のエレメンツなど細かに分けて採点する「新採点法」により、高難度のジャンプのわずかな回転不足やミスでの減点が、さらに厳しくなった。上位がきん差の争いになればなるほど、「4回転ジャンプ」を入れることは、以前にも増してリスクが大きいのだ。


 大技のリスクが高くなったというのは確かでしょう。しかしこの採点法で「演技が萎縮する」とか「美しさが競えなくなる」などというのは、一見もっともらしい解釈ですが明らかにおかしなところがあります。
 審判たちは自分らのジャッジの基準を明確にしただけで、なんら選手に強いるところはありません。選手たちが採点法を意識して演技を変えたり、大胆さを失ったり、美しさを競えなかったりしてもそれはひとえに選手の側の判断であり勝手な萎縮でしかないと思います。
 確かに競技に参加する以上、高い評価を受けたいと思うのは当然です。でも「傾向と対策」を採るも採らぬも全く選手の自由です。過去の採点でも失敗や成功にはそれなりの評価があったはずです。何もそこが根本から変わるわけではないのです。むしろ印象判断から基礎点の明示に変わったことで、自分がとるリスクが客観的に明らかになったと思えばそれは大きなメリットかもしれません。


 評価を受けることのみに気が行って、その評価方法に合わせて苦しくなって、そしてその評価法に文句をつけるのは一人相撲もいいところでしょう。雄大な演技でも、美の追求でも、大胆な大技でも、演技者として自分が納得できるように演技できればそれでいいのではないでしょうか?
 評価を無視しろとは申しませんが、私個人としては「傾向と対策」で小さな演技を見せられて、それでもしメダルが取れたりしたとしても、感動はやや薄くなるのではないかなと勝手なことを思っております。