セクハラ記事にいただいたコメント

 またいくつかコメントをいただき、わりに簡単なことと思い込んでいたセクハラ関係のニュースが結構根が深いんじゃないかと思えて参りました。一人で考えるより展開が早いです(笑)これは望外でしたね。


 まず二度ほどコメントをいただいたshojisatoさんのコメントを中心にお答えいたします。(元記事はこちらです)
 私が最初に一言ニュースに添えようと思ったのは、何か社会的風潮(あるいは圧力)によって人々の集団が自主規制をはじめ、その自主規制が一人歩きして世の中が不自由になるかもしれないということに対する危惧でした。それが善意からのものであれ、そういう自主規制の風潮はちょっとファシズムを思わせないでもないからです。でもよく考えてみると、この風潮(圧力)には社会(もしくは社会倫理)というものも関わっていますから、最初に考えたより根が深いということに気付かされました。それで、shojisatoさんにいただいたコメントを読んでまた考えたのです。


 事実関係では、このケースについては今のところ不十分で争えないところであると思います。水掛け論になるかもしれません。私は「この材料なら〜」という前提で話しておりますし、shojisatoさんは「処分は、それ以上の材料があったはずです」という前提?で話しておられるようですので…。ただし、この二つの立場が対称的な関係にあるとは思いません。
 私は「他にいろいろ想定できるから断罪はできない」(非があるかもしれないけれど、非がないということもありうる)という方向で考えているのに対して、shojisatoさんは「この教授に非がある」と決めてお考えだからです。それは危ういことのように思われます。


 私もnucさんとの昨年のやり取りでは自分の偏った見方に気付きましたが、やはり人間は偏見、先入見、先入主…というものから完全に逃れることはできないのでしょう。しかし偏見をそれと気付くことはできます。それはある程度偏りから離れる可能性を示すのではないかとも考えます。
 何度読みましても、元記事の段階でその教授を断罪する材料は十分にないように見えます。事実があれだけだとしましたら、その段階で罪と言われるのはやはり何らかの偏見にその先生がさらされているといえるのではないでしょうか。言葉を換えるならば、事実だけを見ないで何らかの先入見で善悪理非が決め付けられているのではないかという危惧があると…。


 私にはどうしても女性の側片方の心証だけで「裁く」ようなことはまずいと思われます。


(ここから特に推測入りです)
 shojisatoさんのコメントでは私も「セクハラ予備軍」あたりに言われてしまいましたが(笑)、この言い方自体が普通のやり取りの中では結構きつい(強い)表現です。なぜためらわず?こういうきつい言い方が出てくるのかですが、悪意はそれほど感じないのですが、何か正義感のようなものは感じてしまいます。それはもしかしたら何らかの思い込みを基にしたものなのかなとも思えました。(自分の弱いところの投影かもしれませんが 笑)


 良い先入観と悪い先入観がある、という話ではないでしょう。この女性が偏見を受けないのと同じ程度にはこの教授も偏見を受けないでいる権利はあるように思えますので、私は最初の考えを保持します。
 私がいろいろ可能性をあげたのは、この教授を免責するためではありません。教授が断罪される理不尽さを少し示せればと思ったためです。


そして、やはり断罪するのは慎重にならないと…>ね、nucさん。私もそうだったように(笑)


 まだこの話絡みでは書けると思いますので続けるつもりではおります。antonianさん、nucさん、コメントありがとうございました。でもとりあえず今日のところはこれぐらいにさせていただければ…。鈍らな頭ではここらが精一杯です。ごめんなさい。