性文化

 antonianさんの昨日の記事「本日見かけた変な記述」で紹介されていたものは次のような一節です。

ところで、日本では明治時代に西洋(多分カトリック)に気を使ってそれまであったおおらかな性文化が封印されてしまい、また第二次大戦後に純潔教育が行われた時期があったそうです。

 antonianさんはこれを「カトリックに対するトンデモ」としてご紹介のようですが、書かれた方もコメントされていて何だか誤解だったということのようです。


 西洋人の目から見た日本の風俗が、かなり性的に異質であったというのは良く聞くことです。たとえば女性も路傍で脱衣して混浴とかですね。ただ「隠す」ということが考えられていないそういうシチュエーションでは、裸体も別に性的にはならないだろうとも思います。戦後ある時期までバスや電車の中で授乳する若い母親もいたといいますが、それもコンテクストとして性的な含みを持たないのでいやらしくはなかった…ということなんじゃないでしょうか。更衣室や脱衣所で、ヘテロな同性が隣の人の裸体・半裸体を見ていちいちエッチには思わないのと同じですよ。いえ、そういう場面ならホモの人でもたいして気にするものじゃないかもしれません。


 性の民俗学で高名な赤松啓介の記述を挙げておきます。

 明治政府は、一方で富国強兵策として国民道徳向上を目的に一夫一婦制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基盤を整えていった。(中略)


 明治政府は、都市では遊郭、三業地、銘酒屋その他、カフェー、のみ屋など遊所の発達を保護、督励し、はるかに広大な領域の農村にも芸妓屋、料理屋、性的旅館、簡易な一ぱい屋などの普及によって、その営業税、酒、ビールその他の酒類の巨大な税収を企図したのであり、一夫一婦制だの、青年、処女たちの純潔教育など、ただの表面の飾りにすぎなかった。したがって広く、深く普及していた農村の性民俗、とくに夜這い慣行に対して徹底的な弾圧を加えたのは当然であった。
 (赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫、2004)

 これもまたあり得る一つの筋立てだとは思います。ただ、風俗の変遷が上からの圧力によってのみ変わるとは私には思えませんので、少々割り引くべきところがあるかもと考えてもいます…。


ちょっと続き

 異性の裸体が常に性的興味の対象となるわけではないことは確かです。むしろ公然と裸体や性器が露出された場合、そのいやらしさが不快感を与えるものだという考え方から刑法での公然わいせつ罪(第174条)があるとも考えられますし、わいせつ物頒布罪(わいせつ物陳列罪)(第175条)においても同様です。
 しかしここで問題となるのは何が「わいせつ」であるかの定義でしょう(参考:Wikipedia「わいせつ」)。「わいせつか芸術か」などの論争がかつて激しく繰り広げられていたのは周知のことです。状況や行為の認識が受け取る人によって異なるという事態は、法の不備とも捉えられかねない曖昧さをこれら条文に与えていると思います。


 という流れで、これまたantonianさんが数日前に触れてらっしゃったニュースですが、ネットユーザーとしては気になる法案の話を。
 「不快感を与えただけで犯罪に」--米国新ネット関連法の危うさ

 これからは、インターネットを使って誰かに不快感を与えただけで犯罪になる。


 これは冗談ではない。Bush大統領は米国時間5日、自分の身元を明かさずに不快な書き込みをインターネット上で行ったり、迷惑な電子メールを送信したりすることを禁止する法令に署名した。


 つまり、メーリングリストやブログで誰かとケンカするなら、本名を名乗った上でやりなさいということだ。全面禁止にしなかっただけでも議会に感謝するべきなのだろう。


 Usenetの大半の投稿を犯罪にしてしまう可能性が高いこのばかげた法令は、「Violence Against Women and Department of Justice Reauthorization Act」と呼ばれる法律に盛り込まれている。この法律に触れると、厳しい罰金と2年未満の懲役に処せられる可能性がある。


 「一番大きな問題は不快という言葉の使い方だ。不快と感じるかどうかは人によって異なるからだ」とAmerican Civil Liberties Unionの法律顧問Marv Johnsonは言う。
(略)

 ちょっと前に「セクハラ」絡みの記事を書き、そこで「被害者の側の一方的な心証で罪が決まるのは危うい」と述べましたが、ここで問題になっているのもまったく根っこは同様のことと思います。

 こうしたケースはいずれも、誰かに不快感を与えることになる。それだけで、こうした行為が犯罪になってしまうのである。もちろん、司法省がこうしたすべてのケースを起訴するとは思わないが、検察の分別を信用するなど到底できるはずもない。


 サンフランシスコ在住でAnnoy.comというサイトを運営しているClinton Feinによると、不快で下品な電子カードの送信機能を提供しているサイトは違法になるかもしれないという。


 「何が不快であるかを誰が決めるのか。これは究極の問題だ。誰かに迷惑なメッセージを郵便で送るときも、自分の身元を明かす必要があるというのだろうか」(Fein)
(略)


 自分が被害者となったときのことを考えれば、一般に被害者感情を優先させてくれるのは有難いことです。でもこの手の法律は痛し痒しで、逆に意図せずいきなり加害者として責められる可能性もある以上、無条件に賛成するというのもためらわれることでしょう。

追記

 demianさんからトラックバックをいただいております。ことの最初の記述などがございますので、上記日記をご覧になった方はできればそちらの方へもどうぞ。私の記述だけでは片手落ちになりかねませんから…。興味深い記事でした。