慰霊碑

 靖国神社側の方のお考えは存じません。靖国神社に参拝する方々に先の大戦で亡くなった方を悼むというお考えの方が多かっただろうことは間違いないですが、私はその一定割合は、必ずしも国を守ってくれた「英霊」に参拝するという意識を持っていないと考えます。
 そういう役割の点で言いますと、私には靖国神社が一種の「慰霊碑」として存在するようにも思えます。これは新たに戦没者のためのいかなる施設を新設したとしても、なかなか真似のできないところでもありましょう。なぜならその慰霊碑は、亡くなられた方々によっても意識されたものであったのですから。


 そしてこの慰霊碑としての在り方(仮にそう申しますが)は、どこか微妙に靖国神社の考えを超えて、より古層の信仰につながるものではないかとも思われます。教義的な神道、仏教云々の枠ではなく、死者とどう関わるかという態度の古いところに直結するかもしれないというイメージが湧きます。ほんの個人的な感想ですが…


 もちろん死者を悼む記念碑的なものはどこの国にもあると存じますし、それがたとえ自分に直接拘わらぬものであっても、それを思う人の心を尊重するという行為は、特別なものであるとも思われません。
 ただ残念なことにこの慰霊碑に対する感情を理解できない外国の方々がおられるようです。この感情が普遍的なものかどうか、まだ一考の余地があるということですね。その悲しい実例がここにあります。
 <遭難慰霊碑>日本人名、傷つけられる 中国・梅里雪山

 91年1月に京都大学学士山岳会などの日中合同登山隊17人が遭難した中国雲南省の梅里雪山(6740メートル)で、現地の慰霊碑に刻まれた日本人隊員ら12人の名前が傷つけられ、判読できない状態になっていることが分かった。
 慰霊碑は91年5月、同山岳会が中国登山協会、雲南省体育運動委員会などと合同で梅里雪山を望む幹線道路わきに建立した。高さ1メートルほどの石製で、はめ込んだ銅板に日本人11人、中国人6人の名前と、日中両国語で「大地あり 美しき峰ありて 気高き人がいて」と書いた慰霊の言葉を刻んでいる。
 判読できなくなっているのは日本人全員と、中国側6人のうちチベット族隊員1人の名前。日本語の慰霊の言葉も傷つけられている。【四谷寛】
毎日新聞) - 2月1日15時3分更新

 エピソード主義的に一つ二つの実例で断言するのは避けた方がよかろうとは思いますが、中国の人で慰霊碑というものに対する思いを理解できない人がいるのは事実でしょう。日本がらみの記念碑・頌徳碑的なものが毀損されたという例は過去にもいくつかありましたし、何より靖国神社参拝という(中国から見て)他国の信心に対する介入、不寛容さを見れば悪いほうへ想像がいってもおかしくはないと思います。
 日本の人の宗教心を結局理解してもらえないのではないかと、そんな危惧さえ浮かびます。次の例でもそうです。
 イ・スンヨプ、巨人宮崎キャンプ恒例の青島神社参拝不参加

 1月31日、巨人の春季キャンプのため宮崎入りしたイ・スンヨプは、1日9時に行われた巨人選手団の青島神社参拝に参加しなかった。


 イ・スンヨプはホテルで待機し、参拝を済ませ帰ってきた選手らとサンマリンスタジアムに向かった。


 1日、イ・スンヨプ青島神社参拝不参加を伝えた韓国の聯合ニュースは、「当然の選択」「韓国の『国民的な打者』として日本の軍国主義の象徴である神社に訪問することはありえないことだ」と報じた。


 同日、韓国のニュース専門番組YTNは、神社参拝不参加でイ・スンヨプがチーム内で孤立するのではとの憂慮の声を伝えた。
朝鮮日報 2/1)


 われわれにとって「神社というものが軍国主義の象徴だ」という決め付けは理解の外です。単にお馬鹿なだけという範囲を超えているようにも思います。それが何であるかを知る機会はいくらでもありましたし、知ろうという気持ちがないからこそ誤解が育まれてしまったのではないかとも見えてしまいます。


 ちなみに青島神社

青島神社 御由緒
 彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)が海宮からお帰りのときのご住居の跡として三神をお祀りしたと伝えられている。
 始めてお祀りした年代ははっきりしていないが、日向土産という国司巡視記に嵯峨天皇の御宇[約1200年前]奉崇青島大明神と書いてあったといわれる。
 文縄(室町時代約488年前)以後は藩主伊東家の崇敬が厚く御社殿の改築や境内の保護に万全を尽くされ、明治以後は国内絶無の熱帯植物繁茂の境内を訪ねる人が多く、縁結び、安産、航海、交通安全の神として益々神威が輝くようになった。

 彦火々出見命、つまり山幸彦に縁の神社ですね。いえ、特に神社に関しましては、私は祭神を気にする日本人は古来多くなかったのではないかとも考えています。教義的に何が大事とかこれが重要とかではなく、神聖なものがそこに感じられるからということで、日本人と聖なるものとの紐帯は結ばれてきたというのが実際のところではないでしょうか?
 こういう心は近隣諸国、と言いますか特定アジアの方々にはご理解しにくいものなのでしょうか…。

 なにもののおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる (西行

気付いたら

 「あんた何様?日記」さんと被ってる…orz