表と裏

 すでに私が子供の頃から「日本(人)には表と裏がある」なんていう言説は死ぬほど聞かされてきた気がしますが、やや長じて少しは外国の方とも出会ってみたり海外の情報にも接してみると、表と裏、本音と建前云々云々を持っているのは何も日本だけじゃないと実感します。そして私の限られた知見の範囲ではですが、日本がこの両面性において特別だと信じる何者もないのではないかと思うようになってきました。


 たとえば以下のRauru Blog「コメントを嫌う日本企業文化」(他意はありません。この手の言い方のほんの一例として…)では

日本文化には「表」と「裏」を都合よく分けて考える性向がある。それにどっぷりと漬かった日本企業からすると、「はてブは裏だから都合の悪いコメントがあっても無視すればよい」「しかし表でコメントされると対応しないわけにはいかない」という考えが働く。
話は逸れるが、この「表」と「裏」という考え方は、日本人の精神性を捉える上で重要である。リアルとネットを分ける考え方、あるいは「あっち側」と「こっち側」といった線引きも、この「表」「裏」にダイレクト対応している。この間に横たわる壁を崩すには、単に Google の素晴らしさを理解すればよいという話ではなく、日本文化のかなり深いところにある精神性をどうするか、ひいては日本人というアイデンティティを将来的にどう持って行きたいのか、という話にまで絡んでくるだろうと私は考えている。

 とお書きです。ここでは単に両面あるということではなく、それを「都合よく分けて考える」とされているわけですが、その都合のいい(勝手な)使い分けですら「日本」に特有、もしくは「日本」に顕著と見る理由は明かされていません。
 たとえばアメリカやフランスのイラクでの戦争の際の態度、たとえば中国とか韓国の日本に対する態度において、表裏の(勝手な)使い分けなどいくらでも感じられるではないですか。むしろ日本外交においては、そうした上手な使い分けが今まであまり見られず、ある種の愚直さを以って稚拙な外交に出ていた感すらあるわけでして、日本がそういう使い分けに長けているなどとは少しも思われません。


 印象論に対して印象論で疑問を呈しても水掛け論で不毛なのですが、あまり誰も疑っていないように思える「日本(人)の両面性」に「ほんとにそうなのか?」と一石を投じる意味はあると思いますし、これが私だけの印象であったり、きちんとした研究(あるいはそこまでいかずとも、他国は違うんだという詳しい説明)などがあるのでしたら、それはぜひ教えていただきたいものです。


 こういう話って「おとなには裏表がある」という、二面性を嫌うピュアピュアな若者の心情から出ていたりしませんか? それで身近なサンプルが日本人しかなかったりして、日本人の裏表の話になるとか…。もしくは、単に他の国のことを知らないだけとか、どこかの国が日本を貶めるために言っているとか(ここまで言うと陰謀論?)。


 まあ何にせよ「おとなは汚い」とかいう一般論でさえ「日本」に特有のものではないわけですから、日本は日本はとか言う前に、他国では本当に違うのかということをちらとでも考えて書くという基本姿勢は重要ですね。日本特殊論など、大抵はこの種の思い込みに基づいてたりする場合も多く(cf. 杉本、マオア編著『日本人論に関する12章』ちくま学芸文庫)、そういうあやふやなものの上でどんなご高説が語られたとしても結局は空しいものになりかねませんから。