韓国の一人チキンレース終る(海洋調査問題)

 韓国が一人で熱くなって、無謀にも国際法違反へ向けて走っていたチキンレースがとりあえず終わりました。
竹島周辺調査は中止 日韓次官会談で決着(ソウル22日共同)
【速報】韓日外務次官会談が妥結朝鮮日報
竹島問題、日韓が合意 日本は海洋調査中止asahi.com

 日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島(トクト))周辺の排他的経済水域EEZ)での日本の測量調査をめぐる日韓外務次官会談は22日、韓国が6月の国際会議で海底地名の変更提案を行わない一方、日本側も調査を中止することで合意した。日本が再開を提案した竹島付近のEEZ境界線画定交渉も5月中にも局長レベルで行うことにした。日本が調査を強行すれば拿捕(だほ)も辞さないとしてきた韓国側との衝突は当面、回避される。 (後略)


 当然「問題の先送り」感も残りますが
 日本、海底探査「ひとまず中止」…EEZ交渉5月に再開

韓日両国は22日、日本の東海(トンヘ、日本海)水路測量計画で発生した対立について午前と午後の協議に続き、数回の協議を行った末、終盤での逆転に成功、交渉は妥結された。


日本側は6月30日まで、予定していた東海海洋科学調査を中止し、韓国側は国際水路機関(IHO)に独島(トクト、日本名竹島)近隣水域の韓国式地名登録を十分な準備をへて適切な時期にすることで意見をまとめた。…
しかし日本側は今回、IHOに通報した通り6月末まで探査を中断し、その後はいつでも可能だという立場であり、韓国側も地名登録を適切な時期にするとしたが、事実上いつでもできるという可能性を含んでいるという点で韓日両国の今回の協議は事実上、弥縫策の水準とみられる。
中央日報 2006.04.22)

 外交交渉によって日本が失ったものは何もないですし、調査船乗員の身柄は危険にさらされず、かつ「海底地名命名」という手段で抜け駆けしようとした韓国を押さえ、またこの地が領土紛争の一つの焦点であることが海外にも、日本国内にも広く宣伝できたことは上々の結果と言えるのではないでしょうか。


 それにつけても韓国の「チキンレース」に対して毅然とした態度が取れた今回の日本外交は、今後のあの人たちに対する対応に大きな示唆となったと見えます。子供が騒いだときどうすればいいのか、それを思うべきでしょうね。
 一時は決裂寸前も、竹島日韓合意は「痛み分け」

 【ソウル=中島健太郎】竹島周辺海域での海洋調査を巡る日韓交渉は22日夜、両国の意見の食い違いが続く状態から一転、合意に達した。交渉は合意直前まで曲折をたどり、一時は決裂寸前の場面もあった。

 難航した交渉の焦点は、日本側が要求していた「6月の国際会議で竹島周辺の海底地形の韓国名を提案しない」ことを合意に盛り込むかどうかだった。日本の要求に対し、韓国は「合意に含めることは、認められない」とかたくなに拒否する姿勢を崩さなかった。


 「これは絶対に譲れない一線だ。これが入らないなら、席を立って日本に帰ってきていい」
 22日昼過ぎ、谷内正太郎外務次官が安倍官房長官に経過報告をすると、安倍長官はこう指示した。


 このため、谷内氏らは「日本は海洋調査の『延期』ではなく、『中止』と明言し、譲っている。韓国が応じないなら帰る」と韓国側に譲歩を強く迫った。


 しかし、韓国も簡単に折れなかった。国際会議への地形名称の提案時期について、「6月の国際会議で提案すると発表したことはない」(柳明桓=ユ・ミョンファン=外交通商省第1次官)と柔軟姿勢を見せながらも、「名称提案は韓国の権利」と交渉の最終段階まで抵抗した。日本政府筋は「盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が過激なまでに強硬姿勢だったため、韓国の外交通商省も振り上げた拳をおろせなくなっていた」と分析した。

 しきりに騒ぐ姿がこれほどみっともないとは…。結局今回の件で、北も南もあの人たちは変わりがないなというのが密かな感想です。

 22日午後には、決裂寸前の場面もあった。柳次官が会談を打ち切り、会談場所のホテル38階から地下まで下りて車に乗り込もうとした。日本側は極秘メモを渡し、何とか部屋まで連れ戻した。韓国の一部メディアは「交渉は決裂した模様」と報じ、日本外務省は火消しに懸命になった。


 結局、韓国が6月の国際会議に名称提案しないことは「谷内氏が確認」することとし、日本側がそれを公表することについて、韓国側は「勝手にすればいい」と突き放す形で、協議はまとまった。


 韓国側は「6月の国際会議に韓国名の提案をしない」と明言しておらず、日韓双方のメンツが立つ“玉虫色”の決着と言える。外務省筋は「合意2時間前まで、決裂を前提に、22日中に谷内次官らは日本へ帰る予定だった」と語り、ギリギリの交渉だったことを明らかにした。
(2006年4月23日1時48分 読売新聞)

 日本の態度は大向こうをうならせるものではなかったのですが、その大人な態度は十分評価していいでしょう。外交とはそういうものなのだと思います。