跪礼
昨日の結婚式では、ヴァージンロードを歩いてきた新婦をお父さんから引き継いだ新郎が、二人で祭壇と神父の前に進みひざまづいていました。このような跪礼は、今の日本ではクリスチャンかホストの方ぐらいにしか見られないものかもしれません(失礼)。
跪礼が日本文化に定着していなかった理由はさまざまあろうとは思いますが、以前から気になる一節が日本書紀にはありまして、これは天武帝の勅として語られるものです。
九月の辛卯の朔壬辰に、勅したまはく、「今より以後、跪礼、匍匐礼、並に止めよ。更に難波朝庭の立礼を用ゐよ」とのたまふ。
(※難波朝庭…孝徳天皇の朝廷)
その後の日本でも「土下座」というものは残ったのですが、ここで天武帝が礼式を立礼のみとしたのには何か特別な意味があったのでしょうか。ぼちぼち探しておりますが未だに理由付けを見たことはありません。
勝手な連想ではありますが、私にはどうにも小野不由美『十二国記』(「風の万里黎明の空」)の末尾あたりが思い起こされます。(ちょっと違って伏礼を廃し、跪礼・立礼を残すのですが…以下アニメ版より引用)
陽子:これ以後、礼典・祭典・及び諸々の定めある儀式・他国からの賓客に対する場合を除き、伏礼を廃し、跪礼・立礼のみとする
景麒:主上!
陽子:もう決めた
景麒:侮られたと怒る者がおりましょう
陽子:他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、私は知らない。それよりも、人に頭を下げるたび壊れていく者のほうが問題だと私は思う。
人はね、景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには自然に頭が下がるものだ。他者に対しては礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ
景麒:それは…そうですが
陽子:私は、慶の民の誰もに王になってもらいたい。
地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れたものの末路は、昇紘・呀峰の例を見るまでもなく明らかだろう。そしてまた、踏みにじられることを受け入れた人々が辿る道も。
人は誰の奴隷でもない。そんなことの為に生まれるのじゃない。他者に虐げられても屈することない心。災厄に襲われても挫けることのない心。不正があれば正すことを恐れず、獣に媚びず。
私は慶の民に、そんな不羈の民になって欲しい。己という領土を治める唯一無二の君主に。
そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げることから始めて欲しい。
諸官は私に慶をどこに導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか。
その証として、伏礼を廃す。―これをもって、初勅とする