徳治主義

 外交とは基本的に国同士の話し合いであると思います。にもかかわらず戦争が外交の一つの形態であると言われるのは、ほとんどの戦争が争う国々の間の外交という形をとった終戦・戦後処理で終結するものだからです(例外はジェノサイドなどが目的とされる場合)。外交が複数の国家の「話し合い」であるという基本線は、途中に恫喝や武力行使、制裁等々の力のぶつかり合いが挟まったとしても変わらないと見ることができます。そういう立場からすれば、戦争を含む様々な非言語的接触も、あくまでそれに続く「話し合い」を有利に進めるための手段として捉えられるのです。


 この見方に対する好悪はありましょうが、これは(国際)政治の中でしばしば見受けられる一側面であると私は考えます。しかし人命の価値が非常に高くなった近代国家において、この見方が表立って語られればそれはあまりにもスキャンダラスなことかもしれません。考えてみればイスラエルは、このむき出しの力の外交を比較的表に出している稀な国ではないでしょうか。


 古代儒家思想には「徳治主義」という基本的な立場がありました。

論語』(為政第二)
 子曰。爲政以徳。譬如北辰居其所。而衆星共之。
(子曰く、政をなすに徳をもってす。たとえば北辰のその所に居て衆星のこれに共(むか)うがごときなり。)


 子曰。道之以政。齊之以刑。民免而無恥。道之以徳。齊之以禮。有恥且格。
(子曰く、これを道(みちび)くに政をもってし、これを斉(ととの)うるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを道くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥ありてかつ格(ただ)し。)

 この孔子の言葉は民への支配は道徳を以ってなされなければならないという徳治主義の宣言であり、これは古代儒家思想を貫く根本的なアイディアの一つです。またこの考え方には

論語』(顔淵第十二)
 季康子問政於孔子孔子對曰。政者正也。子帥以正。孰敢不正。
(季康子、政を孔子に問う。孔子対(こた)えて曰く、政なる者は正なり。子、帥(ひき)いるに正をもってすれば、たれかあえて正しからざらん。)

 というように支配者自身の道徳性を問題にするところが基本的にありまして、「為政者が率先して正しくあれば民も善となる」はずという前提が「正しくない為政者は良い政治ができない」という主張へのこだわりにつながり、この考え方の延長では政治(意識)は道徳と切り離されないものとしてあるしかないのです。


 これにより「中国思想、特に儒教にあっては、政治の領域と道徳の領域とは、おおむね未分化であった。政治学的な思考が中国で成立しにくかったことの理由はそこにある*1」などと言われるわけですが、振り返ってどうでしょう。儒家思想の本家本元の(はずの)中国の政治などよりはるかにこの日本で、今なお政治に「徳治主義」を求める人々が多いというのが実際なのではないでしょうか?


 政治家のスキャンダルが大体どの国でも問題になるというところから見ますと、何もそれは儒教の影響とばかりは言えませんが、聖人・君子でなければそれを叩く(叩くことにメディアも正当性を与える)という度合いはちょっと日本あたりは突出しているかなあとも感じますね。
 私は、政治の巧拙は冷静に見れば道徳とは異なる側面であると思っておりますので、やたら倫理的なことばかり言って政治家や外交官がつぶされるのにはちょっと賛成しかねるものです。それを無視してもいいとまでは思いませんけど。


 この「上に立つものに高い道徳性がまず求められる」という風潮が、実は昨日のあの萩本欽一氏の会見につながっていたのではないか、とまで考えるのは妄想でしょうか? 私にはいわゆる世間の「よき指導者像・親分像」におもねった部分が感じられてしまったのですが…