猫の人格・犬の人権

 猫の人格を問うとか、犬の人権を主張するとか、こうして書いてみると間抜けな言葉に見えてしまいますが、確かにそういったものが多くの人に感じられている時代なのではないかと思います。彼らはヒトではありませんからそれは一種の「擬似人格」でしかないのですけれど、確かにそこでは「人格」様のものが受け取られ「人権」的なものを私たちは賦与してしまっているのではないでしょうか。
 昨日の「人格(person)」概念の説明で、その特徴として挙げた ①意識、特に苦痛を感じる能力 ②問題解決能力としての理性 ③単に強制されたり、本能的に行為するだけではなく、自分の意思に基づいて行為できること ④コミュニケーションの能力 ⑤自我の概念と自己意識 …といった定義の言葉は、犬猫を飼っている人にとってはまさに彼らの中に見出せる(見出してしまう)類のことではないかと思います。


 こういう「人格」に似たものを受け取るようになったからこそ、動物愛護法的なものが近代社会の多くのところで定められ、動物の「人権」のようなものが守られるべきとされるのだと思います。この事態は確かに錯誤ではありましょう。際限なく動物にその「権利」を見てあげるということは、人間の生きる幅をどんどん狭めることでもあるのです。そして私たちがみなヴェジタリアンになり、さらにジャイナ教徒のように生きたとしても、究極のところでは人間はその存在を守るため動物を意のままにしたり、殺したりといったことが必ず要請されてくると思います。
 しかしこの風潮、この形成に一役買っているのではないかと思うのが、人種的平等に正義を感じる心であり、弱者への配慮の心です。ベンサムは言いました、

 暴君以外に誰も抑圧することのできなかった権利を,人間以外の動物たちが獲得しうるときが来るかもしれない。肌が黒いことを理由にして,1人の人間が加害者の気まぐれに任せられているのを座視することはできない,ということがフランス人にはすでに分かっている。人間以外の,感覚を持つ動物についても,足の数,体表面の毛,仙骨の末端を理由にして,そういう被害にあうことを座視できないとされるときが来るかもしれない。越え難い一線をきめているものとして,ほかに何があるのか。理性的能力か,それとも,ひょっとして言語能力なのか。しかし,生後1日,1週間,さらには生後1カ月の幼児と比べても,大人の馬や犬の方が比較にならないほど会話の相手がつとまるだけでなく,理性的でもある。だが,馬や犬がそういうものでないとしても,そんなことが何の役に立つのか。問題は「推論を行えるのか」でも「話せるのか」でもなく,「苦しむことがあるのか」なのである。

 つまり他者の「痛みを感じる」という側面の強調がその対象の拡大へ結びつき、それが「人格」概念の密かな(そしてあるいは不当かもしれない)拡大に結びついているのではないかと、ここ数日書いてきたことから私は考えるようになってきています。なにより「人格という概念は道徳的概念であり生物学的なヒトという概念とは異なる。人格=ホモ・サピエンスではない」のですから…


 現代人と犬や猫など身近な動物との関わりは、やはり従来の社会とは異なったものになってきているのではないかと、十数年飼っていた犬に死なれたばかりの私は思ってしまいます。これは時折立止まって真剣に考えるべき題材でしょう。


 作家の中野孝次は『犬のいる暮し』(文春文庫)の中で、あるハンガリー作家の小説『ニキ』(板倉勝正訳、デーリ・ティボル『ニキ―ある犬の物語』恒文社、1969年)を紹介し、現代における犬と人間の関係の一つの典型として次のように語っています。

 これは小説だとはいえ、救いのこない社会での孤独で不幸な生活が、犬の存在によってあたためられ、
慰められ、癒されるということは本当にあるのだ、と作者はいいたかったのだろう。読んでみてわたしも、
こういうことはありうると信じた。ここにある犬の意味は、それまでのどんな役割ともちがう。番犬でも、
猟犬でも、愛玩犬でもなく、運命をともにする伴侶である。近頃はよくコンパニオン・アニマルなどという
言い方をするが、それよりも絆の濃い伴侶というのがふさわしい存在なのだ。
 ニキという犬は、主人の運命をみずからのものとして受容し、悩みを共にし、そのことで衰弱して死んだ。
このニキには非常な存在感がある。作者はこの犬の魅力を存分に描いてみせた。この小説は犬を主人公と
した珍しい作りだが、そういうものとして傑作と言っていいと思う。現代社会における犬の存在について
一つの新しい意味を見出した小説だ


(以下にその小説の紹介部分を書きます。少々長くなってしまいましたのでお時間に余裕がある時にでも…)

 ハンガリーでは第二次世界大戦後「小地主党」のような右翼政権が選挙に勝ってきたが、失政つづきで、この小説が始まる四八年ごろは、共産党社会民主党が合同した「勤労者党」が勢力を得だしていた。四九年五月の選挙ではその勤労者党の組織した「独立人民戦線」が九五パーセントを得票して、ハンガリーは人民共和国となった。
 …この小説の主人公アンチャは、国内で最もすぐれた鉱山技師とされ、四八年には国有鉱山の器具工場の工場長になっていた。小説の中で彼はきわめて生真面目で廉直な勤労者党員と設定されている。が、その厳格さから一人の不正を働いた男を解雇したことで、その男にあらぬ中傷をされ、党がそれを真にうけたため、次第に左遷され、ついには逮捕・投獄されてしまう。その中で終始彼らアンチャ夫妻を慰めたのがニキという犬だった、という設定の小説である。

 「彼がバスから下りると犬はすぐ彼を認めたが、更に確かめるために彼の足下を嗅いで見て、それから彼を歓迎するために大喜びで何度も飛び上るのだった。技師は随分せいが高かったが、彼女は軽々と胸のあたりまで飛び上るので、その喜んでいる可愛らしい舌が彼の髯をなめんばかりであった。そしてこうした目茶苦茶な飛び上り方は、彼女の生涯を通じてセンセイションを起こすためのものであったことをここで指摘しておこう。彼女は耳を頭にピッタリとつけ、泳いでいるように前足を動かしながら非常に高く空中に飛び上ったので、彼女はせいの高い人間の知合いの誰の唇でさえも、なめることができたにちがいない。」

 ニキがアンチャ家に来た一九四八年の秋、夫妻は首都ブダペストのアパートに引越すことになった。ニキにとって大都会での環境には、慣れねばならぬことがたくさんあった。第一にここでは外出のたびごとに綱につながれなばならなかったし(しかし彼女はすぐ「綱は主人と直接に接触している感じを起こさせ、一種の保護されているという感じをあたえた」ので、むしろつながれることを好んだ)、初めて見る電車や自動車に恐怖させられたし、アンチャの友人の耳を動かすことのできる大男に死ぬほどびっくりさせられたりした。
 が、何より辛かったのは、やがて彼女ひとり、終日都会のアパートの一室で過ごさねばならなくなったことだった。その秋アンチャは鉱山作業省の監督を解任され、さほど重要でない機械製造工場に配属された。地位も低く、月給も少なく、なにより工場に八時に着くためには早朝五時に家を出なければならず、ニキにかまっている時間がほとんどなくなった。病弱なアンチャ夫人は、共産党支部を頼み回ってようやくまったく名目的な資格でハンガリー婦人民主同盟の事務を手伝うようになった。こうしてニキは一日じゅう家でひとりで待っていなければならなくなったのだ。

 「鍵をかけたフラットに独りでほっておかれて、彼女はアンチャ夫人の部屋のすみに置かれた彼女のクッションの上で、鬱々としていることが多かった。彼女がより好んだのは、実は厳重に禁じられていたのだが、居間の茶色のうね織りのカバーをかけた肘掛椅子の上だった。そしてアンチャ夫人が帰ってくると、ほんのちょっと留守のあとでも、ニキは喜びに酔って垂直に飛び上り、限りもなく飛びまわり、尻尾を気違いのように振り、ハァハァいいながら、まるで長旅から帰ったように彼女を歓迎し、その興奮がしずまるまでにいつでも相当長い間かかるのが常だった。アンチャ夫人は、ニキが禁じられているにもかかわらず、肘掛椅子で寝ていたと言って彼女を罰したり、いや叱ることさえもできなかった。」

 その時期、ニキの主人アンチャ氏にとっても辛いことが重なった。党の有力者だった外相が逮捕され(現実と同じ)、死刑を宣告され、大逆罪で処刑されるということが起り、党の正しさを信じきっていた技師を苦しめた。それは彼にとって生涯かけて信じてきたものの崩壊を意味した。
 …いやな時代が来ていた。「人びとはお互いを信じてはならないことを学び、隣人に疑いのまなざしを向け合った。人びとは家庭でか、夢の中でなければしゃべろうとはしなくなった。」こういう陰惨な状況の中で、ニキという犬の存在がどんなに彼ら夫婦を慰めたかは、容易に想像することができる。アンチャ夫人と同様にニキもアンチャ氏の精神状態に気付いていたとして、小説はニキが、アンチャ技師の遅い帰宅のたびにいかに気違いじみた歓迎ぶりを示し、技師がそれによってどんなによろこんだかを、こまかい描写で記している。
 そして昼はもう散歩に連れて行ってやれぬ技師が、ボールを買って来て家の中でニキとボール遊びをしたときのすさまじい騒ぎのこととか、犬の魅力と、犬がいるための救いとをことこまかに記している。自然児であるニキにはもの足りなくとも、読む方にとってもまたその短い睦み合いの時が救いである。アンチャ夫人は犬をあまり散歩につれて出られなかったし、技師の方は週に二日か三日しか帰宅できない日々がつづいた。それだけにそういう中での散歩は、厚く垂れこめた雲間からいっとき明るい陽光がさしたような印象を与える。

 「まれにではあったが、夫婦は日曜日に土堤を散歩しにでかけることもあった。更にまれにではあったがもっと長い散歩、たとえばマルギット島あたりまで春の陽を浴びながら散歩したり、あるいは向こう河岸のブダ側の土堤を散歩することもあった。こうしたとき、ニキは夢中になってよろこんだ。こういうときに、支度をしてしまった技師が、おそい妻を残して階段を降りはじめると、すぐ後を追って飛び出すが、最初の踊り場にくるとまた駆け戻っていって、アンチャ夫人に早くしろとしつこくせがみ、今度はアンチャ氏の所に戻って足下にじゃれて彼をおくらせ、こうして夫妻が一緒になるまでやめなかった。」


 「一九五〇年八月、彼らがヒュヴェシュ・ヴェルジに遠足に行ったすぐあと、アンチャは逮捕された。彼はいつものように役所に出かけたが、いつものようにお昼に電話もせず、夜になっても帰宅しなかった。役所でも誰も彼の行方について知らず、彼が作業していた場所でも何もわからなかった。丸一年間、彼についての消息もなかった。」


 「それからアンチャ夫人にとって苦難の日々がつづいた」

 月給は一ヶ月だけで打ち切られ、秘密警察に夫の行方をたずねても逆に捜索をやめろと忠告されただけ。彼女を雇おうとする者もなく、やっと見つけた内職の収入は一日の食費にも足りない。ようやくアンチャ氏の老父が、ブダペストに来て息子の逮捕を知り、以後その乏しい年金のうちから月々五十五フォリントを送金してくれることになった。
 彼女は真剣にニキを手離すことを考えねばならなかった。ニキには毎月五フォリントの税金のほか、食費に二十〜二十五フォリントもかかったからだ。アンチャ技師が初めにニキを飼うか飼わないか悩み、飼うことから生ずる責任を真剣に考えていた理由が、こうなって初めてわかる。「家族から送られてくる援助の金を、これほど多く犬一匹にかける権利が彼女にあっただろうか。」が、彼女は必ず夫が帰ってくるのを信じ、犬をそのまま手許におく決心をする。

 「ニキは(主人の)寝巻きを隅から隅まで熱心に嗅ぎまわし、それからその上に横たわるとなおそれを嗅ぎつづけた。そして今までよりよほど静まったように見えた。それでも彼女は毎晩アンチャを待ちつづけた。建物の大扉が閉まったあとで、誰かが戸外のベルを押すとすぐ起き上がり、頭をまず一方にかしげ、つぎに別の方にかしげて油断なく注意を集中した。時には玄関まで走り出て鼻を床につけ、騒々しく何度も鼻を鳴らした。それからしばらくすると、いつもの居場所に戻って溜息をつき横になった。ニキはあまりに熱心に待っていたので、時には自分の早耳にだまされることもあった。技師の足音を聞いたと思って、夢中になってドアの所に駆けつけ、猛烈に啼いたり吠えたりしながらドアを引っ掻くので、そういう時アンチャ夫人は胸をドキドキさせながらホールに駆けだし、ドアを開けて見るのが常だった。それで、誰か知らない人がその階を通りすぎてゆくと、二人はスゴスゴと部屋に戻るのだった。」


 「ニキの健康はその冬の間にますますよくない方へ向かった。だんだんに痩せ、力も元気もなくなり、あれほど楽しみにしていた散歩にさえあまり興味を示さなくなった。以前あれほど陽気だったのに、そうした性質を示すのはほんの時々で、それもちょっとの間だった。」


 「彼女(アンチャ夫人)の心を一番痛めさせたのは、テリアの沈黙、その犬の全身を領する沈黙であった。 その犬は啼きもわめきもせず、また抗議もせず説明も求めなかった。だからその犬を納得させることは出来なかった。ニキはただ黙って彼女の運命に身をまかすだけであった。心身ともに打ちくだかれた囚人が、最後には黙ってしまうように、この沈黙はアンチャ夫人にとって存在そのものの根底からくる、激しい抗議のように思われた。」


 「はじめて中央監獄に夫をたずねることを許された日、アンチャ夫人は帰ってくると、心を開いて見せるという形でそのことをニキに話してやった。夫人はニキを膝の上にのせて泣いた。ほとんど夫人の泣く所を見たことのないニキは、すぐにこの取り乱した姿に感動させられた。彼女は昂奮してクンクン言いはじめ、つめたい真っ黒な鼻を夫人の顔に優しく押し付けた。それからこの不幸な夫人の膝に坐って、夫人が両手で顔をおおってしまい顔がなめられないので、ニキはアンチャ夫人の首すじを暖かい舌でやさしくなめはじめた。」

 それからもまだいろいろとあって、アンチャ夫人は「自由の欠乏がニキを殺しつつあるのだ」という辛い思いにますます責められながら、なんとかしてニキをもう一度元気にしようと試みたとある。

 「その自由とは、ニキ自身が自分から主人として選んだ技師と一緒に暮らす権利をも含んでいるはずだった。」

 そして、アンチャ技師が逮捕投獄されてから五年目に、ニキは衰弱しつくして死んだ。
 ニキが夜明けに死んだその朝、技師は釈放されて帰宅したのだった。ニキの死を知らされて技師はワッと泣き出した、と小説は書いて終っている。

 ※いくつかトラックバックをいただいております。ありがとうございます。ご意見なりリンクなり、皆何がしか参考になりました。一つ一つなかなかお返事のように書くことができないことをお詫びいたします…