森岡氏の言葉

 トラックバックをいただいたeireneさんのはてなグループ「Life Studies Blog 分室」で情報を得て、森岡正博氏が管理人の掲示生命学・書籍など関連の情報交換掲示板を覗かせていただきました。
 そこで先月26日あたりからのやり取りを読んだわけですが、(坂東氏の問題についてまとめておられる)てるてるさんが私のサイトのurlをご紹介してくださっていて、「子猫を殺すこと」という私の日記を読んだ森岡氏の感想は次のようなものでした。

雑感4 投稿者:森岡正博 投稿日: 8月26日(土)16時11分0秒
umin3さんのブログで、

>なぜなら人間は他の生物の例に漏れず、生きるために他の生物
>を殺し、あるいは喰らうことを基本的に必要とする存在だから
>です。この意味では他の動物を殺すことを単純に悪と断じるわ
>けにはいきません。


とありますが、人間が生きるために他の「動物」を殺さなければいけないことはありません。全員がベジタリアンになればよいだけです。


板東さんの件が問題になっているのは、彼女が植物を投げ落としたからではなくて、動物(ほ乳類)を投げ落としたからですよね。


私は牛、豚、肉を食べるのをやめたくないから、それらを殺すのはやむを得ない、という意見は、とりあえずは「エゴイズム」であると押さえておくことが必要だと思います。自分が動物を殺すのを許容しておきながら、他人が動物を殺すのを批判するのはなぜか、というのが私の論点です。


2ちゃんなどで、家畜殺しは有益だが、子猫投げ落としは無益、という意見があるそうですが、そもそも板東さんの行為が避難されているのはそれが無益だからではなくて、「残酷」「かわいそう」だったからではないのかな? またその場合の「有益」とは何なのか? 動物の肉を食べなくても人間は生きていけるから、その有益は、「味」のこと? あの「味」を味わうためなら、ほ乳類を無残に殺してもぜんぜんかまわない、と、それらの人たちは見なしているということを自覚しているのかな? 自分が生きるのに不必要な「味」を味わうんだったら残酷に殺してもいい、と自己正当化してることはその人たちは認めるのかな?


などのことを、思いました。


 あまり深くも考えず最初に思ったことを書かれただけなのでしょうが、この表現には誤解を招くところがいっぱいありますね。案の定ここからちょっとした議論になっています。で、結局森岡氏の言いたいところは、回避する方法もあるのだから最初から仕方がないなどと責任を放棄するのはだめ、ということに尽きるのでしょう。つまりこの種の議論で、自分を免責する立場で考えるなとおっしゃりたいのだと読み取れました。


 森岡氏はかなりそこらへんは突き詰めたもの言いをなさる方で、時にそれは露悪的に過ぎると思える点もありますが、それは氏のスタイルとして了解していますし、まさに「らしい」言い方かなと思います。ただ、ちょっと「啓蒙的」に過ぎる言い方もこの頃目立つかなと感じております。氏の言が届くのは、かなり限定された人ということになってしまっているんですよね。


 あまり問題を考えていなくても、何がしかの思想に感化されていても、あるいは自分を免責する心があったとしても、またいろいろ考えた末であっても、「人間は他の動物の生命をとらずに生きていけないものだ」という同じ言葉が出てくることはあろうかと思います。
 そこらへんの受け取り方の怖さというものを最近の森岡氏はあまり意識していらっしゃらないのではないかと感じます。決め付けが強い…それがちょっと「啓蒙的」過ぎに見えてしまう理由かなと…。