とぼとぼ

 十年ほど前の話です。当時はまだうちのわんこも若く、夕方の散歩は平均でも1時間ほどのロング・バージョンだった頃のことなのですが、ある夏の終わりこういうことがありました。


 その日は散歩に出るのが遅れ、いつものコースでとぼとぼ二人して歩いているうちにもう暗くなってしまっていました。その時住んでいたのは田舎と町が混在しているようなところで、ちょっと人けのあるところを離れると街灯も整備されておらず、というよりまさに田んぼの畦道や農道がその時のコースの主要部分だったわけですが、カエルの合唱が大きくなり始める中、私は急に暗くなったことに少しばかりあせって犬をせかしておりました。
 あと少しで広い幹線道路にたどり着くというところ、そこまで出ればコーナー曲がって一直線でゴールできるというところの農道に小さな川があり、そこには小さな橋とたもとに揚水所がありました。人家もなくほぼ真っ暗なところでしたが、もう車の通りが心強く見えるくらいの感じで、ちょっとほっとしかけた時でもあったのです。
 いきなりうちの犬が立止まりました。小さな橋まであと5メートルぐらいのところです。私が先に進み、後ろを振り返ると困ったような顔でこちらをじっと見ています。さあおいで、ほら、こっちへ来い来い、来なきゃだめ!お・い・で!と呼ばうと、ほんの1メートルぐらいいやそうに橋に近づいてきて、またぴたりと止まります。
 ほら、何もないから、急ごう!と声を掛け続けたのですが黙ってこちらを見るばかり。と、いきなり振り返るやダーッと走り去っていくのです。(当時人通りのないところではリードをはずして散歩していました。声を掛けると絶対ついてきてました、その時以外は…)
 反対方向へ駆けるブッタを見て、何かいる?と急に怖くなり、私もその後を追っかけて走ることに…。当時からそれほど足が速くない犬でしたし長くは走れない子でしたが、私が彼女に追いついたのは、たっぷり百数十メートルばかり戻ったところでした。ちょっと申し訳無さそうに悲しげな目でこちらを見ている犬に、頭をコツンとしてから「何かいた?」と尋ねましたがもちろん答えはなく、仕方無しに私たちは遠回りの別コースをとって帰宅するはめになったのです。(それにしても主人を置き去りにひとりで逃げる「愛犬」っていったい…_| ̄|○
 私はそれほど夜目が利く方ではありませんが、今でもあの時橋の上にせよその先にせよ誰もいなかったはずと思っています。それでも犬が立止まり、あわを食ったように振り向きざまに駆け出した時、私はぞっとして何か(見えないものが)いるのではないかと感じてしまったのは確かでした。


 わんこが私に何か喋ったわけではありません。いきなり立止まり、進むのを躊躇し、後ろへ脱兎の如く戻っていった態度を見て、私はその理由を「そこに何かいたから」という解釈に求めてしまったのです。
 人にとって「見えない未来」に向かって進むというのは、この暗がりを歩いていくこととあまり変わらないのかもしれません。身近な現象(わんこの態度)などから「何か」を想像することはできても、結局そこに行くまでは何があるかわからない、いえもしそこに行ったとしても何も見つけることはできないかもしれない、そんなところをとぼとぼ歩き、時に不安になり、そしておろおろするのが関の山ということでもありましょうか。
 とても残念なことに私もただの人間で、占い師でも予言者でもなく、先にあるものをはっきり示せる天才でもないのです…。