夏祭り すくえぬこいの せつなさや


 友達やめる日


 何かちょっと泣けた…。「すくえない」から「恋」なんだと、そう思えました。
 愛と恋はどう違うかなんてよく聞く質問だし、一つや二つの答えは誰でも聞いたことがあるんじゃないかと思いますが、叶ってしまったら恋じゃないという言い方が今の自分にはなぜかぴったりです。


 魂が「憧れ」て、そうやって自分を離れて相手のところにふらふら行ってしまう状態になるのが恋。相手をしっかり自分とつなげてしまったら、それはもう恋じゃない気がします。


 独りよがりな初恋。やはりここにエッセンスが集約しているのかもしれません。恋とは自分の心の状態を指すものと言えるかも。それはたぶんホントの愛じゃない。だからこそ儚く、そして自分にとってだけ美しく大事なものなのでしょう。

   男に忘られて侍りけるころ、貴船にまゐりて、みたらし川に蛍のとび侍りけるを見て詠める


 物思へば沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂(たま)かとぞみる


   御かへし


 奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかりものな思ひそ


 (『和泉式部日記』)


 此の歌は貴船の明神の御返しなり。男の声にて和泉式部が耳に聞えけるとなむいひつたへたる


 (『後拾遺集』)