カタカナ語(『英会話上達法』について)

 私自身が英会話が上手というわけでもありませんが(口が裂けても言えない)、『英会話上達法』という本のことを思い出したのでそれを書いておきましょう。おとといの「カタカナ語」の記事を書いたときから何かひっかかって…突然思い出したのがこれでした。


 倉谷直臣『英会話上達法』講談社現代新書470、講談社 (1977/02)

 終戦直後、「ギブミー・チョコレート」と進駐軍ジープの後を追っていた他のチビどもにまじって、ひときわ目立つ発音で、「ギミー・チャッコレー」と走っていたボク。放課後、教科書のつまったカバン―当時はカバンなど夢の夢、じつはフロシキづつみ―を土間に投げ出して、大急ぎでかけつけた英語塾で、ティーチャーをしていたのがY老人。この先生が「ひとあじちがう」英語の発音を教えてくださったのです。dog はダー、God はガー、good はグー、hot はハー、ball はボー、bat はベッ、cat はケー、なんや英語いうのは、えらい簡単や、と早合点したのを覚えています。他のチビどもが、ウィークエンドとたどたどしく言うところを、ウィーケンと言えるようにしてくださったのが、この先生で、のちに中学校に入って、『Jack and Betty』を、ジェーケンベリィとやって、新制出たての美人の先生に、えらいほめてもらったものでした。
 Y老人が時々出してくださる進駐軍横流しのハーシーのココアが目あてで、せっせと英語塾に通ったことと、ボクがジェーケンベリィを言うたびにパーとひろがる美人のF先生の美しい歯並びをみたさに、ダー、ガー、グー、ハー、ボー、ベッ、ケーと毎晩練習したこと、このふたつが、まずはボクの今日へのスターティング・ポイント。
 (同書、pp.25-26)

 今ではたぶん版が絶えていると思うのですが、薄黄の表紙がさらに黄ばんで(ちょっと黒ずみ)私の書棚にまだ鎮座していました。
 これはそうとりたてて「実用的」である本ではなかったです。メソッドがきちんとしているとか、例文・単語が豊富にあるとか(巻末にちょこっと)そういう実用書ではなくて、昭和の13年に大阪に生まれた英語の先生の(筆者は当時大阪外語大助教授)くだけた面白い語調につられながら眺めて、それで一つでも二つでもこの方の感じた「英語に対するスタンスの取り方」みたいなものがわかってくれば、もうそれで元は取っているというような本でしたね。


 それでも実は未だに一つ「この本から学んだ英会話のノウハウ」を大事に使わせていただいていまして、それはとても単純なものなのですが案外に役立っております。

 次の日本語、英語でどう表現しますか? あとの解答を読むまえに、off-handで考えてみてください。無理ならヒントを読んでやってみましょう。
 ①どんなご用件でしょうか?
 ②ここで両替出来ますか?
 ③このお店、閉店時間は何時?
 ④ここはどこ?
 ⑤もう少し安いの、ありませんか?
 ⑥留守中、ぼくに電話あった?
 ⑦どうもこれ、気に入らんなあ。
 ⑧スキヤキって、おいしいでしょ?


 ヒント:どんな=what kind of, 用件=business, engagement
     両替=money changing, 閉店時間=the closing time
     ここ=here, this place, あります=exist, there is
     留守中=in one's absence, 電話=telephone call
     気に入らない=disagreeable, unsatisfactory, おいしい=delicious

 というひっかけ質問を出しておいて、「どうです?賢明なあなたには、このヒント全然役に立たなかったでしょう? 邪魔になりましたね? え? 大助かりだったって? それは困りましたね…。解答見てください、どんなにこのヒントが役立ったか(?)よくわかるはずです*1。」と言う訳です。

 ①から⑧の日本語(及びヒント)に共通しているのは、いずれも人間不在、万物自然発生的、アニミズム的ということ。①から⑧の英語に共通しているのは、いずれもお前がワレがと、うるさいということ。

 英語を話そうと思うなら発想を変えろということでもあり、またちょっと砕いて実用的に考えるなら「とにかく何かしゃべろうと思ったら I で始めてみろ」ということだと私は受け取りました。で、結構これがお役立ちに感じています。


 発音に関してもう少しだけ引用を…

 get on, get in, get out をゲラ、ゲリン、ゲラウとやるのは、なまじ t の正確な発音を教え込まれてきたあなたには、はずかしくて出来たものではないでしょう。中学でbetterをベラと読む先生を、エエカッコシィとひそかに軽蔑していたのを覚えていますが、あれが軽薄に聞こえたのは、他の箇所をいやにたどたどしく読むくせに、betterが出てくると顔をすませてベラとなさり、同じ原理のbutterはバッターと変てこな発音をなさったからでした。
 西部劇の Shut up! 「シャラップ」(だまれ!)、シャット・アップより段ちがいにカッコイイですが、これ、あなたにも出来るんですよ。母音と母音にはさまれた t は、一貫して徹底的にラリルレロでやってごらんなさい、すごくカッコがつきますよ。


better; batter; butter; Peter; meter;
Get it! I got it. Get out! Shut up!
set out; sit up; not at all; See you later.


 ベラ、ベァラ、バラ、ピーラ、ミーラ、
 ゲリ!、アイ・ガリ、ゲラウ!、シャラップ!
 セラウ、シィラ、ノラロー、シィユーレイラーの要領です。

 また、lとrの発音なんて個人差があるんだから(スタンダードなんてあいまいだから)あなたは堂々とラリルレロでいいんですと言っておいて、

 第二の秘訣は、r はいつもラリルレロで、l は語頭に近い時はラリルレロ、語尾にきたら発音せず無視、たとえば bottle, battle, little などは、ボトー、ベァトー、リローの感じ、最後は前に述べた母音と母音の間の t または tt がラリルレロになるルールとの混合。
 table, rifle, puzzle, beautiful はどうなりますか? そう、テイボー、ライフォー、パゾー、ビューリフォーですね。 small, tall, call, well はスモー、トー、コー、ウェオですね。これで not at all がノラローとなる道理がおわかりいただけたと思います。
 ノット・アット・オールなんて他の人が言っている時に、あなたはノラローとひとりカッコをつけましょう。ノラローがナラローぐらいまでくれば、もう一人前です。


 倉谷さんのこの本で語られる重要なことは、妙なコンプレックスを持つなということと、相手もたかが同じ人間ということ、そしてそれがわかってくれば変にはずかしがらないでいいこともわかってくるというポイントにもあるでしょう。もちろん30年も前の本ですから、今や英語に妙なこわばりを感じない世代も広がってきているようにも見え、そのままぴったりというわけにはいかないかもしれません。でも、それでもこの本が役に立つ人はまだまだいるような…


 とにかく「I'm sorry.」とか(すぐ)言うな。「I don't know.」なんて言うと舐められる*2。といったことを面白おかしい調子で書いてありまして、確か私が読んだのは10代半ばのころでしたが、非常に「人が悪い」ところを学ばせていただき、それが今に続いているような気がします(笑)


 ひょんなことから思い出した本ですが、今なお古びてはおりませんね。人に勧める「英会話」の本としては、これが最強と認識を新たにしました。

*1:①What do you want? / What can I do for you? ②Can I change money here? ③What time do you close? ④Where am I? / Tell me where we are. ⑤Do you have/carry something cheaper? ⑥Did anyone call while I was out? ⑦I don't like it. ⑧You like Sukiyaki, don't you?

*2:大正天皇のお名前は?と学生に質問されて、I don't know.と答えたら、私の講義に出席していた同僚のプロフェッサーが、冗談に「あなたもニッポン人ですね、アメリカのプロフェッサーはI don't know.とはめったに言わないもので、だってそうでしょう、これを学生たちの使う三人称に直すと He doesn't know.となり、彼はバカだに近く聞こえますよ。秘訣を教えてあげましょう。これは私がハーバードでレクチュアラーになった時、私の教授が教えてくださった秘伝です。いいですか、そんな時は "Well, I can't tell off-hand."というんですよ。」なるほど、 don't know といってしまえば、無知丸出し、正直でさっぱりしていますが、 can't tell は「言い難し」か、それに off-hand「手放しには、資料抜きには」の保留つき、つまり「(わかっている、いないは別問題として)今ここで、手元の資料ぬきに、どうこう言える筋でない」とやるこころだな…。日本の総理大臣みたい。」