なぜエセ科学をネタとして採り上げる方々は「タバコ有害論」を採り上げないの?

[書評]名取春彦・上杉正幸『タバコ有害論に異議あり!』洋泉社新書y 166

 この本は、ちょうど私が大学に入学した直後に読んだスタニスラフ・アンドレスキー『社会科学の神話』日経新聞社、やパオロ・マッツァリーノ反社会学講座イースト・プレス、同『反社会学の不埒な研究報告』二見書房、とか谷岡一郎『「社会調査」のウソ』文春新書、を読んだときと同じような面白さがありました。
 それは正しい理屈・論理でいいかげんなエセ研究を叩くといったような知的興奮で、ちょうど水伝などのエセ科学を科学関係の人が競って採り上げて批判した気持ちにつながるようにも思います。


 著者はタバコ自体の有害性の認識に文句をつけているのではありません。タバコだけを過度に悪者にしているということに異議を申し立て、さらにその「タバコの害(特に周囲への健康被害)」を喧伝していい加減な調査で恣意的な結論を導いている(と著者が考える)国立がんセンター疫学部長の平山雄氏(の仕事)をメインに批判しているのでした。
 ただどうも著者の名取氏は少々斜に構えた書き方もなさる方で、新書とは言えもう少し余計なところ(思いつきの例示とか強弁に聞こえるところ、あとちょっぴり陰謀論風の個人攻撃みたいな記述…)を削ってシンプルに書かれた方が説得力が増したのに、という感も受けました。もしかしたらここで新書一冊ぐらい書いても、「世の中」とやらの不確かな「タバコ有害論」(というかその印象)が変わるわけはないかぐらいに思っていらっしゃるのかもしれません…


 俎上に上げられている平山雄氏は、当時の厚生省と協力して1966年から1982年までの16年間、全国六府県二九保健所管区内の二七万人(の四〇歳以上の住人)のコホート調査を行い、死亡者を死因別に分類して生活習慣と病気との関係を追いました。途中経過は逐次報告され、「日本の禁煙、嫌煙運動の理論的裏付けは、ほとんどがそこから出てくるものである」と著者は言います。また喫煙とガン・リスク評価や受動喫煙の害については今なお最も引かれる典拠であって、「今でもタバコの健康への影響を論ずるときに論拠として引用されている」ともされます。

 すでに故人となった平山をいま批判することは意に反する。しかし、平山は日本の嫌煙活動家たちの教祖的存在であり、嫌煙活動のほとんどは平山の研究に依拠している。平山個人を批判することは望まないが、その平山の研究というものがどういうものであるかを明らかにする必要はある(本書p.34)


 第1章つくられたタバコ有害論の、平山研究批判が書かれている第二節の目次は次のようになっています。

 2 タバコを吸うとガンになるという常識は意図的につくられた
  タバコが有害でないはずがない/タバコ有害論の根拠となった平山雄の大規模疫学調査/タバコは有害であるという結論が先にある/タバコの有害性を印象づけるためのトリック/都合の悪いデータは隠し、都合のよいデータだけを取り上げる/タバコ肺ガン説の不透明な統計データ/問題がある肺ガンの扱い方/受動喫煙被害理論の正体/統計学のルールを無視した研究が根拠/タバコ肺ガン説は100年前でも通用しない/肺の比較写真に大きな誤解/「スモーカーの肺は真っ黒」はウソ/学会も同業者組合に成り下がった/データを公平に扱えない学者/科学とは道理であることを忘れてはいけない

 この中から一つ二つ内容の概略を申しますと、たとえば平山研究で男性の毎日喫煙する人数は10万人以下で、その中で喉頭ガンで死亡した人数は6〜7人以下、ほんの数人の死亡数から強引に死亡リスクが計算され、小数点以下まで数値が出されていること。またこの喉頭ガン死亡率を普通にパーセンテージに直すと、毎日喫煙者で0.0061%、非喫煙者は0.003%、確かに二倍の死亡率にはなっているけれどこのように微細な割合の数字を比較したものに果たして意味があるかということ。あるいは平山研究には隠れたデータがあって、休煙日を設けて喫煙する人の方が、完全に禁煙している人よりもガンになるリスクが低いという結果が出ている(そしてそれは公表されていないという)こと。またタバコの煙は水蒸気やタールの粒子でありこれらは肺に蓄積しない。肺に残るのは大きめの異物や尖った異物(アスベストもそうですね)で、肺が黒くなった写真は炭や石炭などの固形の黒色粒子か煙に含まれる煤を吸った人にできたと考えられ、これは空気汚染の結果と見るべき…とかいうことなどが書かれています。


 私は医学的知識に乏しいので隅から隅までここに記された記述が正しいとか間違っているとかいう判断は残念ながらできません。しかしこの著者の言っていることで、理解できる部分に少なくとも論理的誤りはないように思えます。ぜひともこれはそちらの分野にお詳しい方に出馬いただいて、どのくらいこの本の理屈が正しいのかご判断いただきたいものです。


 繰り返しますが、本書は決してタバコは有害でないということを言っているのではありません。ただ現在の『タバコ有害論』ではいい加減で恣意的なリスク評価がなされ、『タバコ(だけ特に)有害論』というような様相を見せているのではないかと、これはそういう風潮に流された研究者たちへの著者による挑戦状にも思えます。


 そしてエセ科学を題材にブログなどで記事を書いていた方々は、もし興が引かれるならばこの(どこかあやしい)『タバコ有害論』に挑んでごらんになってはどうでしょうか? 「敵」は勢いがあって大きいほど面白いものです。水伝などという限られたビリーバーの話ではなく、これは日本中が、あるいは世界の先進国のかなりの部分が嵌っている(かもしれない)エセ科学の可能性があるのです。
 わくわくしませんか(笑)


 と、書いてアップしようとした時に、夕刊フジBLOG
 「タバコ有害論に異議あり」名取春彦・上杉正幸著 を見つけました。