ヨシモト鍋

 最近○○の一つ覚えみたいに私が繰り返し食べているのが「納豆とアボカドの和風サラダ」です。一応もっともらしいネーミングをしてみましたが、アボガド(1個)をさいの目にして納豆(1パック)と混ぜるだけの単純な一品です。納豆パックについてくるたれやからしはそのまま入れて、ちょっと味が足りないときにはだし醤油(めんつゆでいけます)を少し。冷蔵庫にあれば大根の千六本とかきざみ海苔・もみ海苔、ねぎでもかいわれでもトッピング。
 アボカドは十分黒く柔らかめになったのを使うというぐらいがポイントで、80円から90円ぐらいで安売りしているのを買い置きして(冷蔵庫で一ヶ月はもつ)柔らかくなったところで調理すれば安上がりです。
 これが御飯にもお酒にもあいまくり。(ただしアボカド1個でカロリーは300kcalを超えますから、いくら不飽和脂肪酸がほとんどといっても半分ずつ食べた方がベストでしょう。私は全部食べますが何か?)


 さて書こうと思ったのはそういうことではなくて、実はちょっと意外な人の「らしいのからしくないのかわからないレシピ」を見かけたという話です。

豚ロース鍋のこと


 食欲はたいへん小ぢんまりしてきたのに、いまでもテレビの食べ物番組はよく見ている。最近も衰えず話題にされるのは、中華そばの名店といった話である。味だけは負けないぞと、大小さまざまな店が登場する。小さな中華そば屋さんの若い店主が趣向をこらして、いいだし味をあみだしたことで、客が店前で行列をつくっている映像などが出てくると、そうだ頑張れ、味の世界は無限で多様だ、と応援したくなる。

 壮年のころ、「クック」という料理雑誌から自分でつくることができる家庭料理のことをと言われ、家人が考え出し、わたしもときどきつくっていた豚ロース鍋のことを書いた。中華そばの話の店主と同じで味はうまいぞ、うまいぞと他人に告げたくて仕方なかったが、本当にうまいか、独りよがりかはまったくわからないものだった。
 肉屋さんで豚ロースの薄切りを三〜四人分で四〇〇グラム、八百屋さんで白菜一個、玉ねぎ二〜四個を求める。底の浅い平鍋に水だけ入れ、白菜の葉先とお尻の部分を少し削いで、三〜四センチに切り分けたものを入れ、豚ロースの薄切りを白菜の間ごとに挟む。はじめは温和に、終わりに強火で煮て、おろした玉ねぎと醤油につけて食べる。
 酒やビールと一緒でも、炊き立ての熱い御飯と一緒でもいい。私には絶品だった。残った鍋には味噌を入れて、またぐつぐつ煮込んで豚汁にした。これもまた絶品だった。
(以下略)

 田舎のコンビニで、雑誌スタンドに一冊「dancyu(2007.4)」が置いてありました。今までにこの雑誌は三冊ほど買ったことがあったかと思うのですが、テーマが「日本酒の春・寿司の幸せ」とあったので十年(以上)ぶりぐらいに衝動買いしてみました。


 巻頭エッセイが冒頭に引用したもので、つらつら目を通してから誰が書いたのかなと見ると意外な名前が…吉本隆明氏のものでした。題名は豚ロース鍋となっていますが、末尾のあたりで詩人の故清岡卓行さんとの交流の話が出て、そこで清岡さんがこの料理のことを「ヨシモト鍋」と言っていたということが語られています。

 あの豚ロース鍋はわたしの誇れる唯一のつくりものだと、そう思っていいように感じた。こんなことは生涯に一度くらいはあるものなのだ。

 すっかり油気が抜けた感のある文です。「誇れる唯一のつくりもの」と豚ロース鍋を指して言うことには、結構重い含みがあるのかもしれません。


 もちろん前から吉本氏はこのヨシモト鍋を作られていたのでしょうがちょっと意表をつかれるように思えて、今このエッセイに接した私にはずいぶん肩の力が抜けた文だなあと変に好感をもって感じられるのでした。