道徳教育

 毎日新聞の「教育再生会議:「道徳」を正式教科に 第1分科会で一致」という記事を読みました。

 政府の教育再生会議の第1分科会(学校教育)が29日、首相官邸で開かれ、道徳教育を小中高校を通じた「正式な教科」と位置づけることで意見が一致した。道徳教育は現在、絶対評価(小学3年以上3段階、中高5段階)の対象外だが、将来は対象に加える方向で検討し、5月に出す第2次報告に盛り込むことでおおむね合意した。

 道徳教育は、指導要領で「自分自身」や「他の人とのかかわり」など指導上の4視点を示し、授業では「心のノート」などの副読本が使われている。教科になれば教科書検定を通過した教科書の使用が義務付けられる。

 これに対して、「道徳で点をつけるのか」といった趣旨のいくつかの反発を見聞きしました。そのお気持ちもわからないではありませんが、一番の問題は評価がどうあるかといったところにはなく、道徳教育をいかに改善していくかという「内容」にあるかと思います。


 また道徳教育の改革自体を「右傾化」とかいった文脈で読み取り、それに反対しようという方がおられるなら、それはちょっとメディアや一部の人のミスリーディングに乗せられているのではないでしょうか。近代化社会が同じように直面している問題があって、そこで道徳教育や公民教育、またあるいは宗教教育によってその克服(の一つの方向)を探ろうとするのはこと日本に限ったことではないように見えるからです。


 たとえば大分大学教育福祉科学部の園山大祐氏による「仏英の教育課程にみる参加型市民教育」を見ますと、早稲田大学の石堂常世氏の著作を引いて、フランスで行われた1985年の公民教育の刷新について次のように書かれています。

 …単なる19世紀型の愛国心醸成一辺倒の市民形成ではない、個人主義的自由や個人の権利の享受という精神的傾向に対して、「自由」の獲得の人間の歴史の把握、普遍的な価値感覚、社会の法制的知識、社会共同体の構成員としての責任・義務意識の認識、世界の動向と国際社会・国際機構の理解といった多様な構成によって、「開かれた愛国心」教育を目指しているとする。さらに、これに人権教育の内容、人種偏見、人種差別の撲滅と撤廃をも包含するものとなっている。

 なかなか立派な目標だと思いますが、

特に、日本同様に、フランスでも、このような公民教育の実施に至る背景としては、社会や家庭の教育機能の衰退、衰弱が関係していることは間違いない
(強調引用者)

だそうで、結局いずこも同じ秋の夕暮れであるのだなあと思わないでもありません。そしてそこで初等教育において目指されているものが

すなわち、学校の意味、教師を尊重することの意味を示すこと。また、学校での生活規則、礼儀作法、自己と他者の尊重など社会化を目的とすること

という具合であることを見れば、もしかしたら「学校にはどういう意味があるの」と聞く生徒が増えたり、教師を尊重しない生徒が多かったり、規則を守らず礼儀を軽んじ他者を尊重しない子供が増えていたから「改革」が行われたのかなあなどと思えたりもします。


 またイギリス(イングランド)の市民教育の記述におきましても、1988年のナショナル・カリキュラムの制定にあたって精神的・道徳的教育の充実が課題になったのは、

 1970年代以来の「イギリス病」に加え、近年、英国でも若者の世俗化、暴力、政治離れ、伝統的な家族の崩壊など教育と社会における一連の病理現象が争点となっている

からだそうで、こちらもまたいずこも同じ(以下略)という感があります。
(具体的な内容については引用のpdfファイルをご覧ください)


 単に「昔は良かった」的な復古趣味の教育改革があまあまだというのは私も理解しますが、多様な価値観重視という方向の先が教育の強制性への批判となるだけならばそれにただ共感することはできません。確かに問題はあるのですし、道徳や公民教育でそれを何とかしようとすることに可能性もあろうと考えているからです。
 評価方法とか瑣末なものを取り上げて輿論を煽るより、具体的に何が必要かということで議論が盛り上がるようメディアにも考えてもらいたいものです。