民主主義における多数

 痛いニュース【都知事選】 「うるさい、黙ってろ!」 石原都知事、下北沢再開発反対派のヤジにブチ切れ→「石原帰れ!」コール

230 名前:名無しさん@七周年 投稿日:2007/04/05(木) 09:51:56 ID:kzuvvBML0
民主主義における多数決とは少数の意見を無視することではない。

235 名前:名無しさん@七周年 投稿日:2007/04/05(木) 09:52:55 id:xNIRhATG0
>>230
それはその通りだが多数派に対して何をしても良い、わけでもない
多数派の演説だから妨害してもいいのか?

 2ちゃんねるまとめサイトから引きますが、これは導入。石原氏がやじられたとか切れたとかいう話はとりあえず関係のないところで…


 民主主義における「少数の意見」はどう扱われるべきなのでしょう? 上の「多数決とは少数の意見を無視することではない」というのは、ある集団において多数派の意見を採用することが多数決であるのですからちょっとおかしな意見になっています。全会一致でない多数決では必ず採用されない少数意見は出るのです。


 おそらくこれは「少数者の意見を大事にするのが民主主義だ」という良く聞く文句の言い間違いではなかったかと思います。ところがこの言葉(あるいは類似の言葉)が本当は何を意味しているのかご存知でしょうか?
 私も長らく不思議に思っていた言葉でしたが、ある時次の言葉を見つけたのです。

 All, too, will bear in mind this sacred principle, that though the will of the majority is in all cases to prevail, that will, to be rightful, must be reasonable; that the minority possess their equal rights, which equal laws must protect, and to violate which would be oppression.


 私たちは心にこの神聖な原則を抱いていなければならない。すなわち、多数派の意志が常に通されるものではあるが、その意志が正しくあるためにはそれが筋の通ったものであることが必要であり、また少数派は同等の権利を有し、その権利は同じ法によって保護されなければならず、少数派の権利が侵害されるならばそれは圧政なのである。(私訳)

 以前にもこれについて書いたことがありましたが、これはアメリカ合衆国大統領トマス・ジェファソンの就任演説に出てくる言葉です(原文:First Inaugural (1801) Thomas Jefferson)。


 案外これは政治学とかアメリカ史の分野の方には知られたことなのかもしれませんが、私はこのジェファソンの言葉が伝言ゲームみたいに人々の口を介して伝わっていくうちに「少数者の意見を大事にするのが民主主義」という具合に言われるようになったのではないかと考えています。


 そしてこの推測が正しいとすれば、上記引用で彼は「the will of the majority is in all cases to prevail」とはっきり言っていますので、ジェファソンにとっても「民主主義においては常に多数派の意志が通る(勝つ)」というのは前提として疑えないものだったと判断され、「少数者を大事にする」のは確かとしても、「少数者の意見を大事にする」のが民主主義とは誰も言っていないことになります。


 それでは少数派の何が守られなければならないのでしょうか?


 それはやはり意見表明の機会を与えられるということであり、多数派によって弾圧されずに平等に法的に保護されるべきということなのです。
 そして意見を戦わせた後で、多数派の意見をなびかせることができなければ、結局その多数派の意見が(正統性をもって)通るということになるのです。これがアメリカの第三代大統領の民主主義に対する考え方だったのです。


 ですから、最初に引いた230の名無しさんに対しては「それはそうだが…」と返すべきではなくて、
 「それは違うよ」
 と言ってあげるべきだったと思います。

 くよくよしても始まらない時には、とにかくできることをしていこうと…。
 普通に生きていても時々こういう気持ちになるものです。一人暮らしはこういう気持ちのマネージメントがポイントですね。忘れかけてました