今日4月29日はカトリックでは「シエナのカタリナ」と呼ばれる聖女(イタリアの守護聖人の一人)の日です。彼女は1461年に列聖されています。(参考:聖者の日一覧

St. Catherine of Siena (Italian, one of more than 20 siblings, virgin, Dominican tertiary, mystic, stigmatist, counselor to popes, Doctor of the Church, died at age 33 in 1380)

 こちらの聖伝のダイジェストでは、次のように記述されています。

 シエナのカタリナは、度々イエズスのまぼろしを見たり、神秘的な恍惚状態を経験したが、同時に、彼女は全く現実的な女性でもあった。カタリナの生まれた14世紀のイタリアは、教皇党と反教皇党との対立による果てしない内乱、ペストの流行、教皇のローマから南フランスのアヴィニョンヘの70年間の流詞などで最大の難局に直面していた。こうした混乱の中で、神に選ばれて教会のために厚くした者は、世の中の知恵者でもなく、強い者でもない、ひとりのか弱い女性カタリナであった。
 カタリナは1347年シエナの染物屋の娘として生まれ、18歳の時ドミニコ会の第三会員となり、家事を手伝いながら暇を見ては貧者や病人を見舞って、できるだけの捷助をした。しかし彼女は、教会の大きな問題を解決するために神の道具として働き、大きな功績を残した。そのひとつはグレゴリオ11世教皇がカタリナの切実な勧めに従って、ついにアヴィニョンからロ−マヘ帰還したことであった。真の教皇と対立教皇の争いの時には、カタリナはウルバノ6世教皇を支持し、忠実に仕えた。彼女が帰天したのは1380年33歳の時であった。


 私が思い出すのはブリュノ・ロリウーの『中世ヨーロッパ 食の生活史』(原書房)です。そこでシエナのカタリナは「たくさん食べては吐き、生理はとまり、エネルギーに満ち溢れ、不眠症だった」と言われています。またその後カタリナは食べること自体をも拒むようになり、

 こっそり食べているに違いないと批難する者もいた。そのような人々を納得させ、自分の体を心配する人々を安心させるために、カタリナは一日に一回、人の見ているところで食べるようにしていた。
 もっともそのあとで、「フェンネルなどの草の茎」を胃まで入れ、「胃に入ったわずかな食べ物」も出してしまわなければならなかった。

 と書かれているのです。病跡学(Pathographie)*1がこれを扱えば、確かに摂食障害が疑われるところかもしれません。


 しかし摂食障害が「病気」とされるようになったのはあくまで最近のこと。彼女はまずなにより聖者として(信仰者に)受け容れられ記憶されているのですから。ただ現在その障害に悩む人にとっては、そうした困難が克服され、それを乗り越えて人生を全うした一つのモデルとして意味があるかもしれません。

 どこでも、そしていかなる時代でも、病気なのは個人であるが、しかし個人は社会の目から見て病気なのであり、社会との関連で、社会が定めた様式によって病気なのである
 クロディーヌ・エルズリッシュ、ジャニーヌ・ピエレ『「病人」の誕生』藤原書店、1992

 なんとなく目に付いた「摂食障害」のブログ記事を見ていて彼女を思い出したのが今日4/29でしたので、これも縁であろうと書きとめておきます。

*1:精神医学の分野。歴史的に著名な人物の精神医学的研究を行なう。