自分何回?

 訳しますと「あなたは(大学の)何年生?」とでもなるでしょうか。関西あたりの大学にいますと、フランクに「自分*1何回?」と(大抵は本人より若そうな人に)聞く人がいます。大学での学年を「年生」で表すのは東日本に多く、「回生」で表すのは西日本に多いでしょう。
 この頃は結構知られてきましたが、これはそれぞれ東大の制度と京大の制度に由来するという話です。
 東大が各学年で取得すべき単位を決めた「学年制」を取っていた(所定の単位が取れなければ留年)のに対して、京大は卒業するまでに取得する単位だけ緩く決める「科目制」を取っていました。極端に言えば4年目まで一つも単位を取っていなくても京大なら4回生になれるのに対して、東大なら1年生のまま(もしかしたらどこかで放校になるかもしれませんが)ということですね。
 そしてそこらへんのカリキュラムが(あるいは呼び方だけが)後発の周辺の大学に影響して、関東では「年生」、関西では「回生」という具合になったというのがどうやら由来のようです。
 

 産経新聞の論説、【主張】漢字習得度調査 弊害が多い学年別配当表 を読み、どうせ小学校で「留年」をさせないのならば、小学校で憶えるべき漢字は大枠で決めておいて、どこからどう教えるかは現場の裁量に任せたらいいのではないかと思いました。
 教科書(国語)のバリエーションは今より多くしなければならないかもしれませんが、それこそこの論説で主張するように「最初からとにかく難しい漢字でも(ルビつきで)提示する」という手法も、それを選びたいと考えてノウハウを持つ学校から採用していけばいいのです。もちろん従来の方法でいいという学校はそうしたらいいだけで。
 もし前者に顕著な効果が現れるということになれば、ノウハウつきでいろいろなところに拡がればいい…。こういう制度改革はどんなものでしょう?


 学年の縛りをちょっと緩めるというのはいい考えのような気がして、それで昔のことを少し思い出したのでした。

*1:「あなた」という二人称を指す言葉。西に多いです。