ご意見

「無題」というタイトルでanbaiさんよりトラックバックをいただきました。ありがとうございました。
 クリスチャンの方のこの問題に関する考え方の一例ということで参考になります。もちろん信仰をお持ちの方でも千差万別のご意見は持っておられるでしょうけれども。


 先日の蓮如の話にもつながりますが、真宗では昔から「本願ぼこり」という形での信心の歪曲もあったと聞きます。弥陀の本願はどんな罪人でも念仏を唱えることで掬い取ってくださるのだから、何をしても良いと無法に走る人たちのことです。
 確かに功徳を積めない、底辺に暮す罪業の深いものすら助けてくださるという救済は素晴らしいもの。ところがそれを直線的に信じて、罪を犯したり排他的になる人が増えるのはどうにも本末転倒のことでしょう。これと類似の矛盾は、たとえばカソリックのイタリアマフィアに関して耳にしたこともあります。人を殺しても告解して懺悔すれば救われるのだと考える人がいたとか。


 こういう直線的で身勝手な「救い」の理解と、そして「赦しなさい」という言葉の理解と、どこかつながっているような気がします…。