ワーキングプアII(セカイ系の発想?)

 NHKスペシャル「ワーキングプアII」の再放送を視聴。いろいろ感情的に訴えかけるものはありましたし、何をどうすればということについて頭に浮かぶものも少なくありません。まとまらない考えの中ですが、二つだけすぐに書き留めておきたいと思うところがあります。


 一つは、番組に採り上げられた皆さんには本当に頭が下がるということです。不慮のダメージ(離婚、労働環境の変化、老いと病気…)をあれこれ負いながら、この方たちは誰を恨むでもなく、憎しみを生きるモチベーションにせずに努力を続けようとしていました。天に見放されたような状況のとき、これはおそらくとても難しいことです。その部分を悩みながらもクリアしていらっしゃるのには本当に心が動かされました。


 二つ目は上と少しく矛盾するかもしれないのですが、なぜ皆「自分(たち)だけ」で頑張ろうとするのか、そこに激しく疑問が湧きました。早くに離婚して男の子二人を抱えるお母さんは、どうして元夫から扶養費を取れていないのでしょう? 七十、八十にもなって缶拾いで生計を立てるご夫婦は、どうして子供たちに頼れないのでしょう? 彼らのうちの少なくない人たちが、ばらばらに分離された状況で、自分の(あるいは自分たち数名の)努力ではどうにもならない状況での努力を強いられているように思えました。


 彼らの努力だけでは立ち行かないという状況を番組は映していました。そして「この国は」という言葉も何度か繰り返されました。もちろん国の施策が今のままで十分とは私も思いません。迅速に手を打たねばならないことは理解してほしいです。でも、どうしてそこに「互助」のレベルでの負担軽減が考えられないのか私にはかなり疑問でした。
 お子さんがいず、病気の奥さんを抱える老人や、構造的な不況業種からの転換がままならない御一家の例は別としても、身内に甘えまいと限度を越えて突っ張る必要などどこにあるのでしょう。足を引っ張ったっていいじゃないですか。目の前に危機があるのですから。


 個々に弱い人(たち)が切り離されて、必要以上の努力を強いられて、それでつぶれそうになっているのを見ると、まず周囲が何とかしようと考えないのかと言いたくもなります。それぞれ苦労を抱えているのかもしれませんが、まさか周囲が全部生きることに精一杯という状況とは考え難いのです。
 制度の改革とかそういった方面を考えて政治を動かすのも必要ですが、まずその前にまわりで何とか負担を軽くして差し上げることが急務に思えます。自分(たち)のレベルより上がすぐ「政府」だ何だというのは、それこそ悪い意味でのセカイ系にしか見えません。「自分(たち)」だけで孤立せずに済むように、いくらかなりと家族が、あるいはその他の縁の周囲が少しずつでも手を差し伸べる方向へいかないものかと、それを強く感じた番組でした。

追記

 はてブを見たらこの記事が上がっていて、コメントを見るとmorutanさんのこういうお言葉が…

2007年08月04日 morutan 格差社会 「国に頼る前に関係性の見直しをするのが先では?」ということで同意なんだけど、切れた関係を修復できない情況もあるのかな、と思う。っつーか、不条理な相手から頼られる側の信教も想像して欲しい

 うーん、と考えていたらトラックバックもいただきまして、何やら複雑な(いえ、もしかしたら単純だけど根が深い)ご事情がありそうです。
 確かに家族だからどんなメンバーでも扶助する義務がある…と強制されてしまうのには抵抗が結構ある時代になっているのかもしれません。ここのところはもう少し考えて明日にでも…