危ない中国

 サッカー日中戦で中国人観客が騒動、紙コップ投げつけ罵声(読売新聞)
 という記事に「またか」と思ってしまったのですが、これに対して「みどりのくつした」という方が
■サッカーの国際試合とはこういうものなんだよ。

瀋陽のサッカー日中戦で、中国人観客が日本人観客に罵声を浴びせた、という。
が、サッカーなんてもともとそんな上品なものじゃない。
サンカーファンというものは、ひいきのチームが負けたら、町へ繰り出して、車をひっくり返したり、店のガラスを割ったり、暴徒化するものなんだよ。
(変にお上品な、ゴミを拾って帰ってくる)日本のサッカーファンだけが、ニセモノなんだ。

 というような感想をおっしゃっておられました。さすがにこれは言い過ぎでしょう。
 過敏になりすぎるのも考えものとは言え、これで納得するサッカーファンはいません。第一今回の試合は国際Aマッチでもなく、オリンピック予選の前哨戦ぐらいの意味合いしかないもの。このぐらいの試合でエキサイトしまくってアウェーのサポーターを脅かすようなサッカーファンは、全くとは言いませんけど普通は見られるものではないはず。
 これはあのアジアカップ2004で見られたような、本来サッカーとは何の関係もない「反日感情」の表出と考えた方が適当だと思えます。サッカーが上品なものじゃない…というのには同意しても、こういう下品な行為をサッカーファンに一般化するような言葉は慎んで欲しいですね。

これからは日本でも、相手チームのファンとケンカをしたりして、機動隊が出動するようになる。
そうなってはじめて、日本のサッカーも世界レベルになったと言えるわけだ。
世界ではサッカーの勝ち負けで戦争がはじまったこともあるんだからね。

 このサッカーで戦争が…というのは、1969年のエルサルバドルホンジュラスとの間の戦争のことを指していると思われますが、この戦争にしても

開戦に至る経緯

1960年代におけるエルサルバドルホンジュラスとの間の外交関係は、国境線問題や、約30万人にもおよぶエルサルバドル系農民のホンジュラス国内不法滞在問題などを巡り、悪化の一途を辿っていた。このため、充分に戦争が起こり得るだけの火種が既にくすぶっていたのであり、「サッカーが原因となった『史上最も馬鹿らしい戦争』」という巷間に流布しているイメージは、実のところ必ずしも適切なものとは言えない。

ただし、くすぶっていた火種を一気に燃え上がらせる油を注いだのは、間違いなくサッカーである。1969年6月27日、メキシコシティで行われたサッカー・ワールドカップメキシコ大会の予選準決勝プレーオフエルサルバドルホンジュラス戦」は、3-2でエルサルバドルの勝利に終わった。

これを契機に激化したホンジュラス国内の反エルサルバドル感情を背景として、試合終了後、ホンジュラス政府は国内に居住する全てのエルサルバドル不法入国者を対象に強制送還を開始した。これに対し、エルサルバドル政府はホンジュラス政府を公式に非難、両国の国交は断絶した。
(Wikipedia日本語版 サッカー戦争の項目より)

 というように、単純にサッカーの勝ち負けで始まった戦争ではないわけです。(これはワールドカップ予選という大事な試合ではありましたが…)
 これを引いて「サッカーでは国ごとの反目や争いはあたりまえ」みたいなことを言うのはあまりにも牽強付会ですね。そしてフーリガンの類を「世界レベル」と持ち上げるのはあまりにもサッカーを知らない言だと思います。ある意味サッカー後進国であった日本だからこそ、妙な争いや暴れ者のほとんどいないサッカー観戦が形成されてきたということは「ニセモノ」どころか幸いなことですし、誇るべきことだと私は考えます。

逆に言うと、わざわざ瀋陽のサッカースタジアムで日章旗を振り回すようなことをするのは、世間知らずだ。
僕がサッカースタジアムへ行くなら(僕はサッカーに興味がないけどね)、人民服を来て、毛沢東バッジをつけて、中国国旗を持って行くね。

 一般論としては、外国の危機的状況にある場所にいく際に「目立たぬよう」行動し危険を未然に防ぐのは賢いやり方です。ひどく危ない事態が予見できるならば行かないのが最善でしょう…
 でもここで(世界旅行者!の)みどりのくつした氏がアラートをお出しになるような状況に今の中国があるとしたら、来年開催されることになっている北京オリンピックには日本人は一人も行かないのが無難ということにもなるでしょうね。それが世間を知っているということだそうですので、北京オリンピックに行って日本を応援しようとかお考えの方はぜひお考えを変えるべきでしょう。日本の応援を…と思うよりオリンピックを見たいとお考えの方は、どうか「人民服を来て、毛沢東バッジをつけて、中国国旗を持って」行かれるようにしてください…。