チューリング・テストと意識

 lastlineさん@最終防衛ライン2の「最先端科学でも解明されていない当たり前のこと。 があまりにも酷いのでツッコミ」という記事で、一箇所だけどうしても気になるところがあったので…

4.意識とはなんなのか。
 ・意識があるかどうかの試験はチューリングテストが有名か。

 これは無いと思うんですよ。チューリングテストについては、はてなのキーワードからもリンクされている田中求之氏の異本「計算する機械と知性についてが過不足無くまとめておられると思いますが、
 ・チューリング・テスト*1は「知能があること」に関する実験として提唱されたもの
 ですし、ここでまあ知能とか理性、思考や意識を同様のものと読み替えたとしても、
 ・この実験が明らかにするのは、「知能」(もしくは意識)の有無を人間が予断なしに判断するのは難しい
 ということなのです。
 以前にチューリングテストについて書いたことがありました(⇒チューリングテストと他者認識)。そこでも触れています(し、上記田中氏のサイトでもっとよく書かれていると思います)が、このテストに関してのアラン・チューリングの立場は、

 思考の過程は問う必要がない。結果として理性的に応対がなされれば、それは思考しているとみなすことができる。
その前提で、一定の様式で演算を遂行する機械(チューリング・マシン)でも思考していると考えることができる。

 というようにまとめられるもので、むしろこれは人間が自分にあると思っている「意識」(でも思考でも知能でも…)を、私たちは機械にすら認めてしまう、という具合に「意識」というものについて私たちが思っている臆見の根底を疑わせるものになっているというところが重要なのです。

 ・ただ、意識があるかのように騙すことも可能なので難しいところ。

 とお書きになっているところは、「意識があるかどうかの判別は確実にすることができる」という前提で書かれていると思うのですが、これこそた易くできないことなのではないかとチューリング・テストは私たちに教えてくれているのではないでしょうか?

追記

 もしかしたら勇み足気味の記事だったかもしれません。lastlineさんからコメントあり(↓)
 (コメント欄も参照してください。)

再追記

 やはりどうも誤解だった線が濃いようです。でももしお時間があれば、過去記事なんぞ覗いてやってくださいませ…

*1:アラン・チューリング自身はこの用語を使わなかったのですが