小泉純一のお話

 森鴎外の『青年』(⇒青空文庫)は、小泉純一(笑)という青年を中心にした物語です。未完らしい体裁の小説なわけですが、小説としてよりも当時の知識層あたりの考え方や話題、特にその点においてのヨーロッパの影響といったものを知ることのできる覗き穴のような面白さがある文章だと思えます。
 この『青年』の中から興味深いなあと思えた二つの箇所を引用しましょう。
 一つは「男子の貞操」について

 …二人は暫く食事をしながら、雑談をしているうちに、何の連絡もなしに、純一が云った。
「男子の貞操という問題はどういうものでしょう」
「そうさ。僕は医学生だが、男子は生理上に、女子よりも貞操が保ちにくく出来ているだけは、事実らしいのだね。しかし保つことが不可能でもなければ、保つのが有害でも無論ないということだ。御相談とあれば、僕は保つ方を賛成するね」
 純一は少し顔の赤くなるのを感じた。「僕だって保ちたいと思っているのです。しかし貞操なんというものは、利己的の意義しかないように思うのですが、どうでしょう」
「なぜ」
「つまり自己を愛惜するに過ぎないのではないでしょうか」
 大村は何やら一寸考えるらしかったが、こう云った。「そう云えば云われないことはないね。僕の分からないと思ったのは、生活の衝動とか、種族の継続とかいうような意義から考えたからです。その方から見れば、生活の衝動を抑制しているのだから、egoistique(エゴイスチック)よりはaltrustique(アルトリュスチック)の方になるからね。なんだか哲学臭いことを言うようだが、そう見るのが当り前のようだからね」
(十一章)

 これは純一と大村という文学好きの医学生との精養軒での会話です。「貞操」というものが徳目として考えられていた時代、若い純一にはその貞操(童貞)が利己的なものに見えている(多分に観念的ですが…)ところが面白いですね。それに対する大村のものいいは、むしろ現在の考え方によっぽど近いでしょう。
 でもその大村にして、「女性」については鴎外は次のように言わせています。

「えらいのですとも。君、オオトリシアンで、まだ若いのに自殺した学者があったね。Otto(オットオ)Weininger(ワイニンゲル)というのだ。僕なんぞはニイチェから後(のち)の書物では、あの人の書いたものに一番ひどく動(うごか)されたと云っても好(い)いが、あれがこう云う議論をしていますね。どの男でも幾分か女の要素を持っているように、どの女でも幾分か男の要素を持っている。個人は皆M+Wだというのさ。そして女のえらいのはMの比例数が大きいのだそうだ」
「そんなら詠子さんはMを余程沢山持っているのでしょう」と云いながら、純一は自分には大分Wがありそうだと思って、いやな心持がした。
 

「さっきお話しのワイニンゲルなんぞは女性をどう見ているのですか」
「女性ですか。それは余程振(ふる)っていますよ。なんでも女というものには娼妓のチイプと母のチイプとしかないというのです。簡単に云えば、娼と母(ぼ)とでも云いますかね。あの論から推すと、東京(とうけい)や無名通信で退治ている役者買の奥さん連は、事実である限りは、どんなに身分が高くても、どんな金持を親爺(おやじ)や亭主に持っていても、あれは皆娼妓(しょうぎ)です。芸者という語を世界の字書に提供した日本に、娼妓の型が発展しているのは、不思議ではないかも知れない。子供を二人しか生まないことにして、そろそろ人口の耗(へ)って来るフランスなんぞは、娼妓の型の優勝を示しているのに外ならない。要するにこの質(たち)の女はantisociale(アンチソシアル)です。幸(さいわい)な事には、他の一面には母(はは)の型があって、これも永遠に滅びない。母の型の女は、子を欲しがっていて、母として子を可哀(かわい)がるばかりではない。娘の時から犬ころや猫や小鳥をも、母として可哀がる。娵(よめ)に行(い)けば夫をも母として可哀がる。人類の継続の上には、この型の女が勲功を奏している。だから国家が良妻賢母主義で女子を教育するのは尤(もっと)もでしょう。調馬手が馬を育てるにも、駈足は教えなくても好(い)いようなもので、娼妓の型には別に教育の必要がないだろうから」
「それでは女子が独立していろいろの職業を営んで行(い)くようになる、あの風潮に対してはどう思っているのでしょう」
「あれはM>Wの女と看做(みな)して、それを育てるには、男の這入るあらゆる学校に女の這入るのを拒まないようにすれば好(い)いわけでしょうよ」
「なる程。そこで恋愛はどうなるのです。母の型の女を対象にしては恋愛の満足は出来ないでしょうし、娼妓の型の女を対象にしたら、それは堕落ではないでしょうか」
「そうです。だから恋愛の希望を前途に持っているという君なんぞの為めには、ワイニンゲルの論は残酷を極めているのです。女には恋愛というようなものはない。娼妓の型には色欲がある。母の型には繁殖の欲があるに過ぎない。恋愛の対象というものは、凡(すべ)て男子の構成した幻影だというのです。それがワイニンゲルの為めには非常に真面目な話で、当人が自殺したのも、その辺に根ざしているらしいのです」

 女性のタイプは娼婦型と母型の二つしかない。
 女性には恋愛は存在せず、娼婦型は色欲、母型は繁殖欲だけだ…
 なんとも暴論じみていますが、鴎外の実人生でのエピソードを散見するに、案外本気でこれに近いことを信じていたのではないかと思えるところもあります。この引用された考えの小説中での扱いも、危険思想っぽいが真理に近い、という感じで語られているように見えるんですね。
 ちなみにこの「ワイニンゲル」さん、辞書的には次のように書かれている人です。

 ヴァイニンガー Weininger, Otto 1880〜1903
 オーストリアの思想家。ショーペンハウアー、カントの影響をうけ、〈性の形而上学〉を説き、女性蔑視の思想を述べ、女性を母型と娼婦型とに分けた。若くして自殺。[主著]Geschlecht und Charakter, 1903.
 (岩波『哲学小辞典』1979 より)

 ヴァイニンガー氏の思想というものに直接触れたことがありませんのでここの引用だけの知識しかありませんが、男女は双方ともM(男性性)とW(女性性)を持っているという主張のわりに、恋愛のできるのは男子だけだとか、妙に矛盾したものいいに思えますね。


 『青年』は小説としては完結できていないものですが、当時の教養人士の会話とかいったあたりの「風俗」が読み取れて面白いものです。こうした時代の証言としての文章(小説)は、丹念に読めばいろいろなことを語ってくれるものでしょう。上記引用のところ以外に、「キリスト教の信仰に飛びつき、疲れて生命主義に走る」といったような一つの典型的な当時の知識人のパターンが書かれていたりして、興味は尽きないという感じです。
 何年も経てば、皆さんの書いているブログなどもこうした資料的読まれ方をするかもしれませんね…