台風は

 今、津軽海峡を北上中とのこと。やや勢力も弱くなりつつあり、被害はあるにせよ今以上に大きくなることもないかと思います。それにしても死者がでないかと期待したのですが、数名の方は亡くなられたということで、毎年のこととは言え残念です。中州に取り残された人の救出は、いくつかの局のフィルムで拝見しました。救助される方々のご苦労には頭が下がります。無事でよかったです。
 私のところの実害は、思いがけず客間の床の間の天井から雨漏りしていて、引越しを前にいろいろ片付けて置いたいくつかのもの(特に今は使わない19インチモニター)が少なからず水を受けてしまったことですね。大したことではありませんが、全く意表をつかれました。やっぱり万全の備えというのは難しいものです。


 さてこれもまたいくつかの局のニュースで見たのですが、台風が実った梨を落としてしまって肩を落とす農家の方がおられました。これには個人的に非常に同情を寄せてしまいます。


 実家(うち)は曽祖父の代から祖父まで、梨ぶどうの果樹園をやっていた時期があります。明治末の頃から昭和の戦後少しばかりの時期にかけてです。その苦労は祖母から何度も何度も聞かされています。
 砂地の傾斜地にある梨畑に、ポンプなどない昔のことですから桶に入れた水をかついで何度も往復したこと。どんなに苦労して実らせたとしても、台風の風で落とされてしまえばその年の収穫はほとんど無くなってしまうこと。などなどです。
 結局祖父は中途で果樹園を止めるのですが、もともと山っ気のある人だったらしく、次から次へと思いつきのように仕事を始めて、どれもあまり長続きせず祖母が尻拭いに奔走させられたということも聞きました。金太郎飴をやってみたり、小魚の佃煮をやってみたり…。佃煮の時は販路開拓に祖母と幼い母は十数時間もかけて汽車で東京まで出て営業したりもしたそうです。その後味噌・醤油をやったりもしましたが、何と防腐剤無添加の(現代ならば受けるであろう)その醤油は、よく腐るという悪評も得てしまったとか…。丸に「徳」の字の醤油差しが一つだけ実家には残っていましたが(祖父は徳之助という名でした)、世が世なら、山にサの字の醤油にも負けなかったのに(笑)と思わないでもありません。
 とにかく、農家の苦労というものには大変同情してしまうようになりましたね。それがいやで結局他の仕事をしていたわけなのですが…


 明日は台風一過の晴天で、こちらのあたりも猛暑日がまた来るとか。引越し準備もありますし、また大変だなあと贅沢な悩みです。