時代小説のラノベ

 佐伯泰英氏の『居眠り磐音江戸双紙』シリーズを一、二冊拝読。これはまさに時代小説のジャンルにおけるラノベだという感想を持ちました。いえ、嫌いだとか貶めるとかいう気はさらさらありません。それなりに面白く読めますし、なんでもシリーズは470万部突破とかで相当支持が集まっているのは確かです。人気は実力と言ってもよいと思います。
 佐伯氏のこの作品は非常に展開が速く、まるでシノプシスに脚本を合わせたような感じを受けると言いますか、筋立てプラスアルファにテレビドラマ的な科白がきっちり書き込まれているという印象を受けます。余韻云々よりも、読む側が突っかかることなく(かつ興味を切らさずに)すらすらと読むことが狙いであるという感じ。文学臭さなど鼻にも掛けないケレン味のなさで、登場人物はとてもキャラが立たせられているように思います。そこに適度に江戸期の知識や蘊蓄がまぶされ、そのわりには関西弁以外の方言は一切無しというように割り切った書き方がされているのです。主人公の磐音は豊後(今の大分県)関前藩という架空の藩の中老の嫡子だったという設定で、ほとんど国許で暮らし、三年間だけ江戸遊学をした…わりにはお国言葉は一切捨象され、しかもその言葉も御定府育ちというにもおかしいぐらい江戸弁ぽいところもありません。まあほとんど時代劇風味の現代語なわけですが、それは多分この小説のファンには問題とならないところで、そういうところでも「時代小説のラノベ」と感じる次第です。


 で考えたのですが、ライトノベルというものをSFやミステリ、オカルトチックなものの堕落形と捉えたり、あるいは少年・少女小説ジュブナイルの発展形と捉えたり、はたまた萌えだのデレだので考察してみたりというところを一旦離れて、今現在支持を受ける読み物の形として大きく捉えなおしてみる価値はあるんじゃないでしょうか。もしこの『居眠り磐音』シリーズがそれらと並び称していいものではないかと直感した読みが(いささかなりとも)正鵠を射ていればです。
 あるいは旧来の時代小説ファン層には物足りないかもしれないこのシリーズですが、全く私の知らないところで既刊22巻で470万部ですよ。こういう数は真面目に考えなければいけないだけのものを示していると思うのです。もちろんNHKの木曜時代劇で採り上げられたということはありますが、この七月に始まった番組が始まる以前にもう200万部は越えていたそうですから、涼宮ハルヒシリーズなどよりもともと売れていたし今も上回っているということなんです。


 私はあからさまな山本耕史ファンですから(笑)もちろんテレビシリーズも拝見しました。その時も何とも展開が速く新しいタイプの時代劇だなあと最初から受け取りました。それもあってたまたま書店で平積み(たいへんな量でした)を見て、購入し読んでみたわけなのですが、テレビドラマの印象以上に「時代小説じゃない感じの新しいタイプ」に思えて、それで「ラノベ」っぽいという発想がさきほど浮かんだのでした。そう思われた方は他にいらっしゃらないでしょうか?