格差周辺

 テクノバーン「人の満足感は他人との格差が重要」という記事について。

【Technobahn 2007/11/27 00:58】年の瀬になると昇給やボーナスが気になるものだが、最近の神経科学的な研究により、人は報酬をどれだけ手に入れたかという絶対的な量よりも、相対的に他人よりどれだけ多いのかを重視することがドイツの研究機関が雑誌「サイエンス」に発表した研究論文により明らかとなった。
(中略)
 経済学では人の意思決定において、得られた報酬の絶対量が満足感を決める要因であると考えられてきた一方で、社会心理学者や人類学者は、満足感には報酬に関わる社会的状況が影響すると指摘してきたが、こうした心理過程の脳内メカニズムについてはこれまで明らかになっていなかった。
(後略)

 「満足感には報酬に関わる社会的状況が影響する」という指摘は言われてみればもっともと思えますし、今まで経済学で「人の意思決定において、得られた報酬の絶対量が満足感を決める要因である」と想定されるだけだったとは初耳ですし驚きです。これはどなたか経済学に明るい方の解説等を待たねばとも思うのですが、もし本当にこういう文脈でその手の考察だけだったとすればあまりにも…。


 昨今では「格差」が諸悪の元凶、もしくは悲劇的な状況を告発するタームとして盛んに言われています。でも「格差」があることが個々人の満足感に関わるというならば、「格差」を忌避して平等だけの方向を追求するということは人間性に悖る方針だったかもしれないということにならないでしょうか。
 もちろんバランスはとられるべきだと思いますし、現に「誰か儲けすぎ」「格差拡大しすぎ」の場合には嫉視やら陰口やら、しまいには暴動や革命が起きたりということになるでしょう。出る杭が打たれるのは何も日本社会に限ったことではないです。
 それはムラ社会がどうこういう前に、集団を成り立たせるものとしてシステマティックに密かに人間性に盛り込まれた「妬心」というものの働きなのではないかと考えてもいますが、断定的なことは言えません。でもこれはネガティブなだけでない働きを持ち、たとえば差を挽回しようというモチベーションの基となったりもして、最終的に集団構成員の均衡(〜動的均衡といったもの)を目指す役割も持っているんじゃないかなと思っています。


 「豊かになれるものから…」という一言で、中国は平等重視から格差許容、競争の社会になってきました。爆発的な高度成長がとんでもない歪みを生み出しているのは確かにしても、「格差」がもたらす人をドライブさせるこのエネルギーを見落とすのは片手落ちに過ぎるとも考えます。
 身も蓋も無い結論ですが、要は兼ね合いでしょう。やる気が全く削がれるような「格差固定」を避けつつ、人間性を利用した活発な競い合いが求められるといった、そうした微妙なバランスこそが望まれる…ごく常識的なことなのですが。


 誰かが「格差」上位に来て満足感を得るとすれば、同時に「格差」下位に来て不満を募らせる人がいるのも道理。すべての坂道において上り坂と下り坂の数が一致するのと同様、ギャップで満足する人と不満を持つことになる人は必ず出てくるはずです。
 でもここで、不満から不幸という認識へ一足飛びに行く人は、優越から満足へそして幸福へ行くと考えてしまう人と結局は同じ類の人間という感じがしてなりません。本当はそれだけではないんじゃないでしょうか?
 この「格差」というものを考える時、短絡的に幸・不幸を考えてしまうのは避けたいことと思っています。ちょっと舌足らずですが、とりあえずここまで。