イタリアマフィア10の掟

 少々以前にマフィアのボスが逮捕され、その掟(The list of rules)を書いたものが押収されたというニュースが話題になりました。ただどの記事も掟の記述については断片的で、元ソースはないかなと探していたところたまたま次の記事を見つけました。
 Revealed: Ten Commandments of the Mafia
 この記事にある次の10項目は「掟」の逐条的な英訳と思えます。

1. No one can present himself directly to another of our friends. There must be a third person to do it.


2. Never look at the wives of friends.


3. Never be seen with cops.


4. Don't go to pubs and clubs.


5. Always being available for Cosa Nostra is a duty - even if your wife's about to give birth.


6. Appointments must absolutely be respected.


7. Wives must be treated with respect.


8. When asked for any information, the answer must be the truth.


9. Money cannot be appropriated if it belongs to others or to other families.


10. People who can't be part of Cosa Nostra: anyone who has a close relative in the police, anyone with a two-timing relative in the family, anyone who behaves badly and doesn't hold to moral values. [end]

1.第三者の立会い無しに仲間の誰かと一対一で会ってはいけない
(と意訳できるでしょうか。仲間うちでの妙な密談や疑心暗鬼を招くような密会は団結の綻びとなる…ということでしょうね)
2.友人の妻に色目を使ってはならない
(これまた内紛の種。人のものは人のものとあきらめましょう…)
3.警官と会うな
(プライベートでも誤解を招くような行動は慎みたいものです)
4.パブやクラブに行くな
(これは厳しい掟ですね。余計な騒ぎに巻き込まれないための方策でしょうか。この項を見れば、この掟が幹部以上のクラスに適用されるものではないかと思えます)
5.組織にいつでも呼び出されたら出かけられるようにせよ―たとえそれが奥さんの誕生日でも
(奥さんも怖いですからね〜。でもこの義務はそれに優先するとはっきり…)
6.面会の約束は絶対守れ
(信頼関係を築く基本中の基本でしょう。これができなければいつまでもチンピラです)
7.妻は敬意をもって扱え
(家庭の不和も仕事の障りです)
8.情報を求められた時嘘はつくな
(仲間内で…ということでしょう。身内の信頼関係が何より大事ということです)
9.仲間の金や他のファミリーの金は着服してはいけない
(公私混同は厳禁。あらぬ誤解が生れます)
10.組織に入れてはいけない人間:近親者が警察にいる者。ファミリーの裏切り者。まともな行為のできないもの。そして道徳的価値を守れないもの。
(悪い奴にも悪い奴らなりの「道徳」があって、それを守らなければ組織―内輪は保てないというのは確かにあると思います)


 モラルには範囲があって、その範囲はその時々で変わり得るもの。これを裏から見れば、どの範囲のモラルを共有するかによってその人の立ち位置が決まる〜どういう社会(関係)に属しているかが決まる〜ということなのかもしれません。もちろんここでの社会(関係)というのはスタティックなものではなく、一人の人間においても状況によって変わるものですが。

 道義的責任は、どんな場合でも誰にとっても等しく自明というものではありません。その意味で普遍的・論理的ではない面を持つと言えるでしょう。もちろんそれを自分で選択した人にとっては明らかであり論理も持ち得ます。ですが、他者にそれを普遍妥当性を持つものとして強要することはできません。


 それはある意味「内輪の論理」に支えられてあります。そして逆に言えば、道義的責任の感じ方を共有する人々がある意味「内輪」になっているといえるのではないでしょうか。


 それが内輪のものであるがゆえに、道義的責任は暗黙の了解を前提にします。様々なケースにおいて、それがどのような責任なのか、責任の適用範囲はどこまでか、程度からくる責任のあり方(量刑的なもの)はどうあるべきか、批難できる主体の資格はどの範囲か…全然明示的ではないです。

 というようにかつて書いたことがありますが、この道義的責任というものとモラルの選択というものはパラレルと言いますか重なっているのと考えられるのではないかと思います。


 かなり時宜を逸していますが、心覚えということで…