自由vs平等

 フランス革命以来の「自由」「平等」「友愛」という理想を考えてみても、こうしたものが社会の場面場面において相克してしまう(こともある)ということはよく考えればわかることだと思います。たとえば「平等」を強く希求することが「自由」の度合いを低めてしまうなんていうのは、現実社会でも起こりがちなことではないでしょうか。うまいこと良いとこ取りにできれば文字通り理想なのだと思いますが、なかなか実際にはそううまくはいかないもの。結局は兼ね合いを考えて、局面ごとにどちらをどれだけ優先させるのが良いかを考えていくだけ、と言いますかそれが最善の方策じゃないかと。…というようなことを、昨年末あたりからぼんやり考えていました。
 つまりは「自由」だけ「平等」だけ…というのが絶対の(あるいは正義の)尺度ではないという当たり前のことですし、むしろこの二つだけを捉えてみるとかなり相性が悪そうだなといろんなニュースを受け取りながらぼけっと思っていたのです。
 あまり大きな風呂敷を広げても話になりそうもないのですが、こうしたあたりに注目してみれば色々なものの見え方が違うなとは思いました。これがまあ休んでいた間の関心だったというお話です。