隣の芝生

 日本の「学力危機」救う? フィンランド式学習が人気

OECDが実施した学習到達度調査(PISA)によると、日本の「学力」は、順位が低下傾向にあるが、フィンランドは上位を維持し、日本でもその教育法に注目が集まっている。授業に「フィンランド式」を取り入れる学校が出現したほか、「フィンランド式学習」を謳った書籍も続々と登場してきている。


特徴は思考力や読解力を高めること
最新のOECDPISA調査(2006年)では、日本が順位を落とす傾向にあるのに対し、フィンランドは総合で1位。特に読解力で14位と同1位のフィンランドと大きな差がついてしまった。そこで注目を浴びているのが、フィンランド式の学習方法というわけだ。


フィンランド式学習の特徴は、思考力や読解力を高めることにある。ある教育業界関係者は、

「日本が学習要領でガチガチに縛り付けているのに対し、フィンランドには空白の時間割もあり、現場の先生に裁量が委ねられている。そこでは思考力や読解力など、自由に考える力を付ける教育が行われている」

と評価している。(後略)
J-CASTニュース 2008/2/23)

 先日ちょっとクリップしていた記事。微妙な感じもします。
 「思考力や読解力など、自由に考える力を付ける教育」というフレーズは、フィンランドがアピールしているものでしょうか、それともこの教育業界関係者が見出した(あるいは読み込んだ)ものでしょうか。強い既視感を覚えさせてくれるフレーズですよね。
 まず「思考力」とか「自由に考える力」というのがどういうもので、具体的にはいかなる指標によって測られるのかを明らかにして欲しいのですが、まあ仮にそれはおいておいてもこの理想には確かに何がしかの訴求力はあります。ただこういうのがうまくいっていただきたいのはやまやまなのですが、これには非常にコストがかかると思われるんです。
 フィンランドの人口は526万人(2005年)。1億2千万を超える日本の人口に比べて相当小さいものです。小回りの効く政府、さらには日本の20分の1程度であろう就学年齢人口を考えてもその部分に予算を厚く配分するのは日本に比べて容易なのではないかと考えられます。前にも書きましたが子供に自発的に自由に学ばせるという理想は、教員の能力と目的意識を改善して、子供に動機付けする画期的な方法を開発して、さらには現在の半分以下になるような生徒―教員の比率にして…そういうかなりなコストをかけなければ実現は難しいのです。立派な理想、スローガンだけで現実が動くものではありませんし。


 さらに、隣の芝生が青く見えるの言のとおり、フィンランドが素敵だと考える前にちょっと振り返ってみれば日本の教育が諸外国に称揚された時点さえあったのですが、なぜかそれはほとんど喧伝されることはありませんでした。

アメリカが学力低下に苦しんでいた一九九〇年ごろ、『ニューズウィーク』誌が世界各国に教育調査団を派遣して、「○○教育は○○国に学べ」という特集を組んだとき、「外国語教育はオランダに学べ」「数学教育はドイツに学べ」といったタイトルの論説と並んで、「理科教育は日本に学べ」と述べられていたのだ。同誌の調査団の結論は、「アメリカの小学校の理科教育は知識の詰め込みが中心だが、日本の小学校では、実験や身近な事象を通じて、科学的に考える力が養成されている」ということであり、これが広く世界に紹介されていたのである。
 その後、国際学力調査を行なっているIEA(国際教育到達度評価学会)が一九九〇年代に実施した授業評価においても、日本の小学校の理科・算数の授業手法は、思考力養成という観点から世界最高水準という評価を得ていた。当時の算数の教科書は、知識と練習問題偏重のアメリカのものとは異なり、「思考プロセス」を重視していると評価され、英訳されて今でもアメリカの小学校で活用されているのだが、「暗記中心」「知識偏重」「思考力不足」などといった科学的根拠のない偏見やイメージが蔓延してしまっていた日本では、こうしたことが正しく理解されていなかったのである。
 (岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』)

 これもまたアメリカなり他の国からなりの隣の芝生であったということかもしれませんが、工夫で何とかなるところは取り敢えず何とかしてしまっていたということは言えるのではないでしょうか?
 単なるイメージではなく、本腰を入れて方針を検討し、それが望まれることならかけるべきコストはかけていくという方向で日本の教育が改善していくことを願っています。