なぜいつまでも水伝?
suikanさん@脇見運転の「我々は、水からの伝言を受け入れるべきだった」。こういうおちょくりは嫌いじゃないです。面白い発想です。
でもこれを読みながらふと思ったのが、「硫化水素自殺を広めたのはマスメディア(ネットの所為にするな!)」という主張と相似の形が水からの伝言のケースにもあった(ある)んじゃないかなということでした。
つまり「水からの伝言を広めた(そして広め続けている*1)のはネット」だった面もあるんじゃないかということです。*2
この記事じゃないですけど「これほど長い間」水伝がどうのこうのと騒いでいるでしょう?ネットでは*3。
これは「水からの伝言というものがあって、それは…」という形での叩き記事をいつまでも書きたいと思って書く人がネットに多い所為で、いつまで経っても「水からの伝言」についての言及がなくならないという、ちょうどメディアで「硫化水素自殺についての情報がネットにある」と流すことがその追随者を無くならないようにしてしまった事態と相似のことがここにあるような気がして…
それを信じている人が今どれだけいるでしょう?
しつこく言わなければわからないと思わせる人が多いのでしょうか。いまだに私の周辺では一度もこれを信じているとかいった人は見ないのです。だからわからないのですが。
似たようなものとしてid理論批判というのがありましたが、あれはさすがに日本で言う人が凄く少なかったでしたから、あっという間に陳腐化してしまった感があります。(いつまでも批判する人はいなかったという意味で)
なぜこの水伝ネタがずっと続くんでしょうかね〜。騒げば騒ぐほどそれこそ話題として残ってしまうような気もするのですが…
(※上に追加記事を書きました)