オタクは元々非コミュの人を指す言葉

 …だったと思うのですがどうでしょう。つまり直接相手と会って、お互いに相手との距離感が測れないコミュニケーション下手どうしが「お宅」と呼び合った、そのことを指して周囲がちょっと小馬鹿にしたような感じで言い出したのがそもそもの「オタク」とか「オタク君」とかいったものだったのではなかったでしょうか。
 名前で呼べるような間柄でもなくて、それで「君」とか「あなた」とかは全然適当な言葉とは思えない感覚があって、結局ロールプレイっぽく「お宅」と相手のことを呼ぶ。それが結構周囲にはおかしく見えたので、そういう子たちが「オタク」と揶揄されたという経緯があったはず。
 「お宅」の用法の源流を確かに「ウルフガイ」その他のある作品に求める意見も聞いたことがありますが、何よりそれはテレビドラマなどで刑事が民間人に語りかける(職質?)時によく聞かれた言葉だったように思います。つまりそれは「職務上語りかける時に使う二人称」であって、「自分」を排した関係性を相手との間に構築できる便利な言葉だったわけで、相手との間合いが測りかねる者には好都合な言葉であったから使われたのではないかと。(主婦の「お宅の方はどう?」とかいうのが参照されたというよりはやはりドラマが元のように思えます)
 非コミュとまで言うと言い過ぎなのかもしれませんが、友人づきあいがあまりなく、相手の間合いにポンと飛び込むことに長けていない「根暗」といわれたようなマンガやアニメのマニア、一旦話し出すと止まらなく「自分の話だけ」してしまうような空気の読めない、そうした不器用な人たちが「お宅」というように二人称を使い始めていたんだと憶えています。(案外作られた記憶かもしれませんが)
 似たような語として「先生」というような二人称を使う人もいました。あれも明らかに間合いを測りかねて、友人面しているっていわれないだろうかという内向的な怯えがあるような感じの二人称、呼びかけの言葉でしたね。
 いきなり相手を名前で呼び捨てにできたり、多少強引にも友達じゃない?って言ってしまえるようなコミュニケーション強者(別名人気者)ではない、友達なんてあまりいなくて、自分の世界に空想を飛ばして口数少なくいるようなそんな感じ、それが最初期の「オタク」イメージだったと思います。
 

 だから最初のオタク概念はマンガやらアニメやらのジャンル(そしてそれに関わるマニア)としての在り方に向けられたものではなく、コミュニケーション弱者の(ちょっと暗めの)連中に対して使われていたというのがここで言いたいことなんです。
 もちろん言葉はどんどん内包する意味を変えて勝手に歩き出します。自嘲気味に自分らのことをオタクと言い始めたうちはまだだったにせよ、オタクの犯罪とかいったようにそれを知らない人にも大々的に話題になる頃には、すっかりそれはマンガマニア、アニメマニア、ゲームマニア、さらにはロリコンといったような人を指す言葉になっていたんです。
 これは、それ以前にないジャンルを偏愛する人たちに対する呼称がなかったということも関わっていたように思えます。つまり、野球小僧、文学少女、サッカー少年、剣道少女、釣りバカ、裁縫好き…などの従来の呼び方が無かった(あ、そういえばマンガ少年というのはありましたっけ。でもあれは雑誌名になったので、あまりそういう呼称としては使い難かったのかもしれません)ので、オタクという呼び名がその新しいジャンルのマニアという意味で広まったというのは想像に難くない筋ではないかと思います。結構最初の方から「自称」する人も出たと思いますし。


 まあこうしてぐだぐだ書いてきたのは何故かと言いますと、最初の「オタク」は決して貴族なんかじゃなかったよ、というあたりのことが急に言いたくなったためです。
 そしてその源流から言えば、今なおコミュニケーション弱者で、あるジャンルのものにのめり込む口数の少ない人は大変多くいるわけで、それは立派に「オタク」だよと言いたいためでもあります。何もモノを買ってばかりだからオタクじゃないとか、そういう話ではないということです、岡田さん。
 それがジャンルの愛好者といった語感を持つようになった頃から、オタクはコミュも非コミュも含めた言い方になっています。人によってはそういう狭いコミュニティーの中で「デビュー」して、コミュニケーションが上手くなるような人だって出たでしょう。
 でもやっぱりと思うのです、最初に自嘲気味に「だってオタクだし…」と言っていたぐらいの屈折が、なんだかんだ言って「オタク」と呼ぶにふさわしい王道なんじゃないかなと。