中国の地震

 夕方の報道ではそれほど被害がなかったような成都など一部大都市の様子しか流しておらず、初発の被害報告も小さいものでしたので関心をあまり向けませんでしたが、夜に入ってからの報道でどんどん被害情報が追加されるにつれ大変なことになっているものだとあちこち見て回っていました。
 しかも震源があのパンダの保護区、チベットの人などが多いあたりとも聞いて、少数民族もちゃんと含めて早急な救援が行なわれて欲しいと本当に思います*1

 米地質調査所(USGS)によると、震源省都成都から北西に約90キロ離れた同省アバ・チベット族チャン族自治州●(=さんずいに文)川(ぶんせん)県で、震源の深さは約10キロ。揺れは台湾、バンコクハノイなどへも広がった。
産経新聞 四川省大地震 死者8700人超す

 さてちらっと覗いた「切込隊長BLOG」で

 余計なものに引火して、防火障壁なんか目じゃないぐらい、面倒な方向へ延焼していく可能性って結構あると思うぞ。絶対、政府が弱腰だからとか、天命が尽きたからとかそういう中華な理屈をこじつけて、いろんなことが起きるし中国人なら起こしかねんぞ。

 云々とあったのは、同じようなことを頭に浮かべていたのでかなり同意。もちろん温家宝首相がすぐに現地に飛ぶなど、中国政府も危機意識は強く持っていると思われますが。
 天災などが起こるとそれを為政者の失政に帰するような考えは、それこそ晨旦発祥で今なお根強くあるものだと思われます。

 Another important deity unique to the Zhou was Tian (T'ien), usually translated as Heaven. It may seem odd to call Heaven a deity, but the Zhou people thought of the vault of the sky not as a place but as a force, for it was the original source of natural and moral order...
 note: Zhou(Chou)=周, Tian(T'ien)=天
 ("Religions of Asia", St.Martin's press, New York, 1993.)


 もう一つの周朝独特の重要な神格は「天」である、通常それはHeavenと訳される。Heavenを神格と呼ぶのは奇妙と思われるかもしれないが、周の人々は天の蒼穹を場所ではなく力と考えた、それ(天)は自然と道徳の秩序の源泉だったから…

 古代に生まれた「天」の思想では、それ(天)を自然と道徳の秩序の源泉の神格と考えます。言い換えるならば、自然現象と社会秩序双方を連続したシステムとして捉え、それを司る神的存在を「天」と考えたのです。この「天」はしばしば「上帝」と重ねて見られますが、基本的にはより人格化されない存在としてあります。


 彼らにとって天災とは字義通り「天意の表れとしての災害」でした。『管子』侈靡篇に、「これを天変に視て、これを風気に観る」という語があります。日々の気候や日月星辰の運行も天のシステムを測る(占う)手がかりとしてありましたし、地震旱魃、虫害や水害などの大災害ともなれば、時に天意が現王朝を嘉せぬ現れであるとして革命の機運を高めるものとしても考えられたのは『三国志』など後代の書までずっと通底している見方でしたね。

 『周礼』の春官「保章氏」に、「五雲の物(色)を以て、吉凶・水旱降・豊荒のしん象(天象にあらわれる前兆)を弁ず」とあり、鄭司農の注に「二至(冬至夏至)二分(春分秋分)を以て、雲色を観る。青を蟲と為し、白を喪と為し、赤を兵荒と為し、黒を水と為し、黄を豊と為す」という。いわゆる占候の術である。保章氏は占星・占雲を職とするもので、古く世襲のものがあったのであろう。
 (白川静『中国古代の民俗』講談社学術文庫

 ここらへんはかつて書いたところでもあります。
 非常に簡単に言いますと『十二国記』で借りている「失道」の考え方ですね。「胡錦涛失道」とか「温家宝失道」とか簡単に言えないのが現実なのですが。(今の中国に果たして麒麟がいるでしょうか >反語)

*1:デモが頻発していたという状況が彼らの不利益になりませんように…