成長物語には正解がある

 kaienさん@SomethingOrangeの「物語に正解はいらない」を読みました。おっしゃりたいこともわかるのですが、これを成長物語=教養小説的な「物語」にまで適用して言ってしまうと、それはそれで少し違うなとも感じます。
 ブックマークで

 成長物語だとどうしても似たポイントが出てきてしまうと思う。でもそんなマンネリも嫌いじゃなかったりする。要は語り口かも

 というコメントをつけましたが、言い足りないかと感じたので少し。


 成長物語は「子供が大人になる過程」を書くものです。時に挫折したりしたままのものもありますが、大抵は困難を克服して成長したという結末へ向うものだと思います。大人になるとは「社会化される」ということで、その社会によって規範は異なりますがどうしても「社会に適応した人=大人」というゴールに向けて描かれることは避けられないでしょう。多面的な人間形成が許容されているとしても逸脱できない枠は想定されていますので、周囲や社会との葛藤の「適応的な」解決のストーリーがあらかじめ置かれているジャンルと言ってもいいかもしれません。
 そしてこれに違和感を感じてしまう人がいるのと同様、かなり熱烈に支持する人もおおいわけです。私も嫌いじゃありません。ただしその描き方があまりにご都合主義的だったり、心理的成長過程に説得力がないと思えばその作品を「面白くない」と判断するのですが。


 一般論としては「物語に正解はいらない」は首肯できますが、成長物語の類は成長(大人化)という正解があるからこそ読まれているジャンルであって、むしろ評として語られるならば成長物語を例示するのは良い策ではないと思います。
 十二国記の『風の万里 黎明の空』なんですが、あれはどう見ても成長物語として楽しまれるものですので、正解につながるような人間的成長があるからちょっとひっかかる…というのには納得し難いです。
 「正解」があるような物語は嫌いだとおっしゃるなら、成長物語は避けたほうが無難でしょう。ただこの記事を拝見する限り、kaienさんも成長物語に惹かれるところはおありなような気もします。惹かれつつ反発を感じているからこそのこの文章と思われるのですが…