ETV特集「安らかな最期を迎えるために」

 夕べの十時からのこの番組を見ました。サブタイトルが「尊厳死を考える」で、論点や番組での視点は以下の紹介文に尽くされていると思います。

 延命治療を中止することは許されるか。たとえば、回復の見込めない末期の患者から人工呼吸器を外す行為は「尊厳死」なのか「殺人」なのか。この問題は、日本の医療現場では長いあいだ「グレーゾーン」だった。実際には、患者や家族との「あうんの呼吸」で人工呼吸器を外すという医師もいる。

 しかし最近、医師の刑事責任が問われる事件が相次ぐ中で事態は大きく動き始めた。どのような場合に延命治療の中止が許されるのか、医師たちが「免責」される基準が必要となり、厚労省や学会などが終末期医療のガイドラインを発表。国会では、党派を超えた議員連盟が結成され、尊厳死法案を提出しようと準備を進めている。

 こうした生命倫理に関わる問題は、どの視点で考えるかによって(それだけで)相当意見が異なってきて、違う結論につながりかねないものです。たとえば番組のタイトルのように「安らかな最期を迎えるために」というような視点だと、通常は末期患者の視点から尊厳死容認といった具合の筋立てになるものが多いでしょう。この番組はいい意味で?その予想を裏切る作りになっていましたが。
 末期患者の立場なのか、医療関係者の立場なのか、末期患者の家族の立場なのか、あるいはそれとは違う(たとえば「尊厳死法案など可決されれば弱者切捨てで不本意な死に追い遣られる人がでる」のを危惧するとかの)立場なのか、等々で本当になかなか同意できる結論が形成し難いものです。
 尊厳死法案の是非などについてはいずれ書きたいと思っているのですが、とりあえず番組を見ながら考えていたことを。


 それはなにより、治療者としての医師に引導を渡す役を兼ねさせているのは見ていて辛すぎるということでした。それは医師にのみ過大な負担、ダブルバインドの状況を押し付けることになってはいないでしょうか。この意味では「免責の基準としての尊厳死のルール作り」が求められるのは理解できます。
 でもそれは根本的な問題解決にはならないだろうとも考えます。結局治療する医師側が死の決定に関与せざるを得ないという点は変わらないからです。
 少なくとも治療者は全力で治療する方向にむかい、治療停止を決断したり患者本人やその家族と意志をつき合わせ(ある意味)引導を渡す役は切り離すべきだと思いました。


 終末期医療の分野別のエキスパートの医師(少なくとも担当医の治療方針を理解し、延命の継続の是非が判断できる人)と、患者および患者家族の心理面でのケアができる専門家、それにできるならば選べる程度の宗教者や法律の専門家を加えたチームをつくり、医療機関側はこの独立したチームに終末期医療での延命中止などの決定をある程度委ねることができるというシステムは夢想にすぎるでしょうか。
 もちろん医療機関がその決定まで管理したい場合には呼ばずに自分で決めることも可能にします。でも訴訟になった場合もこのチームが引き受けるとなれば、多くの医療機関はここにお願いすると思うのですが。
 さらに言えば「引導を渡す」縁起の悪いチームにずっといたいと思う医師も少ないでしょうから、ここでの医師や他の専門家は固定的に考えるというよりは柔軟に(たとえば終末期医療の専門家がローテーションで加わるといったように)して、人間は皆死ぬものですといったことを患者や家族に伝える(ある意味)矢面には宗教者が立ち働いてもらうという具合で、そういうチームを必要な数だけ作るというのはどうだろうと番組を見ながら考えていました。


 ある時期まで患者の治療・回復のことをずっと考えてきて、そしてどこかで治療停止や引導を渡すことに切り替えなければならないということは終末期医療の現場に過大な負担となっていると思います。ですから、この部分を外化することによって治療者は余計なことを考えずに治療に専念できるようにしてあげたいと、そう思えたのです。


 かなり眠くて、最初だけちょっと見ようと思っていた番組だったのですが、何より一年ちょっと前に母が手術の後に入ったまさにその病院のその場のICUの映像が出たりして、後の方まで見てしまったのでした。


※重要な資料として:終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン厚生労働省・pdf)