1000冊目のSF

 SFを語るなら1000冊読んでみよという言葉がある。これだけの数のSFを読まなければSFを語るな、ともいわれる。果たしてこれは本当なのであろうか?


 ここに面白い実験のレポートがある。それを紹介したい。
 宮崎県の串間市にある石波海岸から約200メートルほど離れたところに「幸島」と呼ばれる小さな島がある。
 1948年に京都大学の研究グループがこの島でニホンザルの観測を開始した。1952年にはサツマイモの餌付けに成功し、翌53年には「イモ」(imo)と名付けられた当時1歳半のメス猿が、それまでどの猿も行わなかった「砂のついたサツマイモを川の水で洗う」という画期的な行動を発明している。
 さらにその翌年、「ハヤカワ」(hayakawa)と名付けられた3歳のメス猿の前に一冊のSF(※ハインラインの『夏への扉』だったと言われる)を置いたとき、なんとそのメス猿がその本を読み始めたのである。


 この行動はやがて少しずつ群れの中へ伝わっていった。ただその伝播の傾向は、群れを率いるリーダーの興味によって変わっていったという。
 あるボス猿のグループは17頭すべてで未来社会テーマを好んで読んだ。ハクスリーの『すばらしき新世界』、オーウェルの『1984』から始まり、ガーンズバックの『ラルフ124C41+』、アシモフの『わたしはロボット』、ヴァン・ヴォークトの『スラン』と続いた。一匹のメスはここから『地球へ』とはぐれ、群れに戻ってこなくなった。
 またある若いボス猿のグループは進化テーマに取り組んだ。クラークの『幼年期の終わり』、ステープルドンの『オッド・ジョン』、ル・グインの『闇の左手』などである。シマックの『都市』とステープルドンの『シリウス』を読んだこのグループはなぜか犬に対して非常な敵意を示した。またキイスの『アルジャーノンに花束を』を読んだ一匹のオス(「チャーリー」という名であった)は「ニーマーきょうじゅにつたいてください」と発話行為におよんだそうであるが、当時研究グループにその名の教授はいなかった。
 最年長のボスに率いられたグループは破滅・終末テーマが好きだった。そこでウィンダムの『トリフィドの日』、マシスンの『地球最期の男』やロシュワルトの『レベル・セブン』などが与えられた。ディッシュの『人類皆殺し』を読んだ頃から群れに不穏な空気が流れたが、特筆すべきはシュートの『渚にて』が読まれた頃からこの群れがオーストラリア海軍の歌「ワルティング・マチルダ」に極端な反応を見せるようになったことであろう。
 何匹かの「はぐれ」たちは固まって諷刺・ユーモア作品を読んでいた。シェクリイの『人間の手がまだ触れない』やブラウンの『火星人ゴーホーム』、ヴォネガットの『猫のゆりかご』にカルヴィーノの『コスミコミケ』、さらにハリスンの『宇宙兵ブルース』、アンダースンの『地球人のお荷物』、エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』などが彼らの選択であった。ちなみにチャペクの『山椒魚戦争』では山椒魚が人間を滅ぼさんばかりであったが、なぜ栓になって外に出られないようなことがなかったのかは不明。
 異世界テーマを選んだのが一番群れの数が少ないグループで、バラードの『時の声』やオールディスの『地球の長い午後』、ゼラズニイの『伝道の書に捧げる薔薇』、が読まれていた。だが何といってもこのグループのお気に入りはブラッドベリで『何かが道をやってくる』『10月はたそがれの国』『刺青の男』などくり返し愛読されていた。スタージョンの『人間以上』が読まれた翌朝、なぜか群れが一匹を残して消えていたということであるがはっきりした経緯はわかっていない。
 時間・次元テーマを選好した群れもあった。これは最初にSFを読み始めたハヤカワのグループである。ディックの『高い城の男』、ヴォネガットの『スローターハウス5』、フィニイの『レベル3』や『ゲイルズバーグの春を愛す』、アシモフの『永遠の終り』、ブラウンの『発狂した宇宙』などが読まれていた。もちろんウェルズの『タイム・マシン』も。
 紙幅の関係上かなりのグループの描写は控えるが、最後に特筆すべきある集団の話が残っている。このグループはスペース・オペラに類するものを読んだ。バロウズの「火星シリーズ」。スミスの「レンズマンシリーズ」と「スカイラークシリーズ」。ハミルトンの「キャプテンフューチャーシリーズ」にアシモフの「銀河帝国の興亡シリーズ」などである。このグループが一番冊数を多くこなしたと言ってよい。このグループに最後に一気に「ペリーローダンシリーズ」が与えられた時―この時点で彼らが読んだSFが1000冊を超えたのだが―不可思議な出来事が突然起きた。
 それまでほとんどSFを読むだけだった幸島ニホンザルの群れが、一斉にある行動を取り始めたのである。しかも驚くべきことに、この行動は幸島から200キロ以上も離れた大分県高崎山の猿の群れやそのほか日本全国にあった猿の群れにも広まっていた。空間的にも物理的にも大きな隔たりがあり、交流など全くなかったのにもかかわらずである。


 彼らは口々に「SFを語り始めた」のだった。
 もちろんこれが周囲の者にとっていかに苦痛であったかは言うまでもない。
 実験は中止され、いまだに再開の目途は立っていない。本当ならば「日本SF」による対照実験が必要であったため、この実験の顛末はいまだにどこの学会誌にも発表されていない。残念なことである。


 教訓:SFを1000冊読ませたら猿でも語り始める。やめたほうがよい。


 →「解題」
 →「解題2」