情報

 日本語の「情報」という言葉は森鴎外による造語、という定説がずっとありましたが、2005年の情報系の雑誌(情報処理,Vol.46 No.4, Apr 2005)に掲載された論文で鴎外以前の用法が指摘されていたと小耳に挟みました。
 検索をしてみたところ、おそらく当該論文と思われるものが公開された神戸大学教養部紀要としてネット上にありました。小野厚夫氏の明治期における「情報」と「状報」というものがそれで、

鴎外が文筆活動を始める以前の明治九年に、既に「情報」という語が使われていることを見いだした

 として、1876年出版の訳書『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』が挙げられています。

 『佛國歩兵陣中要務實地演習軌典』の訳者は陸軍少佐酒井忠恕である。この訳本は陸達乙第十八号別冊『総則』の緒言に記されている通り、『野外演習軌典』の原本になっており、「情報」という語が多数使われている。これ以前に出版されている兵書を調べてみても「情報」という語が見あたらないことから、おそらくこの本が「情報」という語が使われた最初の出版物ではないかと考えられる。

 とても興味深いものです。またその原語については

 野戦では斥候、偵察、間諜などを派遣して地勢や敵情を調べる。その報知を酒井は「情報」と訳した。その原語については、原本を見ていないので明らかではないが、renseignement か information のいずれかと考えられる。

 とされています。また「また明治十年代後半には、「情報」だけでなく、「状報」も並行して用いられていた」というのもなかなか面白いと思いました。


 さてその「情報」ですが、なにげなく使っているわりには定義が曖昧であることが忘れられていると思います。
 神奈川大学附属高校の方々がつくられたこちらのサイト

 …主に、機械などによる情報の伝達や処理を念頭においている自然科学において情報とは「物質・エネルギーの時間的・空間的・定性的・定量的パターン(図柄)」のことであり、情報は物質・エネルギーと並んで自然を構成する2大要素の一つである、といわれている。分かりやすくいうと、物質はエネルギーとして捉えられるだけではなく、情報という形態においてその性質や量といった特徴を与えられ、認知されるということだ。自然科学において、情報は意味を考慮に入れない符号として扱われる。


 他方、情報を人間行動との関係で捉えようとする社会科学において情報とは一般に「発信者または受信者にとって何らかの意味を持つもの」と考えられている。”記号−意味”化された情報、すなわち記号やシンボルによって表現されたり伝達される思想・知識・意味などとして扱われてきた。そして、これはわれわれが普通「コミュニケーション」と呼んでいるものであると思えばよい。

 とあったのは非常に示唆的だと感じました。


 自分はどちらかと考えますと、知覚で受け取られた生データに意味づけされたところに情報があると思っていますので、上の考察に沿えば社会科学的といわれるような方に傾いているでしょう。
 生(ロウ)データはたとえば「赤く光っているライト」という形で知覚されたもの。そこに交通ルールとしての知識が加わればそれが「止まれの合図」という情報になるというモデルで考えているのです。


 これは逆に言えば、文書のような生(ロウ)データがあるだけでは情報になっていないという考え方で、そこに読者それぞれの「知識だの先入主だの」が加わって特定の情報として受け取られているとみる見方です。
 そう考えてみれば、ネット上の揉め事のかなりの部分がこの「知識だの先入主だの」の齟齬によって作られているということがわかり易くなるのではないでしょうか。
 生(ロウ)データが客観的であるにしても、情報となった時点で主観的で多義的なのです。
 浜の真砂は尽きるとも世に揉め事の種は尽きまじ、かもしれません。


※実は私にはこの話にあまり「権力」とか入れたくない気持ちがあります。