解題(「1000冊目のSF」)

 先日の「1000冊目のSF」、望外に多くの方に読んでいただけたようで嬉しいです。いろいろご紹介いただいた方々には感謝を。で、本当は仕掛け終わったジョークはさらりと流すのが粋だと思っていたのですが、ブックマークコメントでid:CAXさんよりツッコミをいただいたことでもありますので、少々解題を。
(ちなみにあのツッコミの件は、100匹目の猿にあわせた所為で時空が歪んだと御解釈くだされば幸甚です。)


 テーマ別に分類するというのがSFの場合ときに非常に難しいですね。それでもあそこでは敢えていくつかのジャンルで分けて言及を試みました。また実はSFって何だよ、と言われると苦しいところもあります。センス・オブ・ワンダーだという言葉に(伝統的に)避難するならば、レイチェル・カーソンもSFなのかと言われそうでこわいです。

未来社会テーマ

 ここに『すばらしい新世界』や『1984』を持って来るのに異論もあるだろうと思っていたのですが…


 オルダス・ハクスリーすばらしい新世界』原題:Brave New World、1932。邦訳、松村達雄講談社文庫(は 20-1) 超管理社会となった未来を描いた名作。作者のお祖父さんのトマス・ヘンリーは高名な生物学者で、実は優生学の誕生にある意味関わっていたりします。だからこその優生学批判作品なのだと私には思えます。お兄さんのジュリアンも生物学者、評論家。お孫さんが人類学者で、NHKのドキュメンタリーに出ていたのを拝見したことがあります。物質文明の進歩が人間性の破壊につながるという警鐘を鳴らした作品です。
 ジョージ・オーウェル1984』原題:Nineteen Eighty-Four、1949。邦訳、新庄哲夫早川書房(NV8) 全体主義的反ユートピア社会を描いた名作。これも全体主義/管理社会体制批判としては先駆的なものでした。なにより荒唐無稽の悪夢のような洗脳社会、超管理体制の記述が、実は技術的に今でも可能なのではないかと背筋を凍らせてくれます。
 ヒューゴー・ガーンズバック『ラルフ124C41+』原題:Ralph 124C41+、1911。邦訳、中上守、早川書房(絶版) 27世紀の未来社会について明治44年に書かれていたのは驚きです。言わずと知れたヒューゴー賞の名に冠せられる方。実は私もこの作品については未読なのですが、ヒューゴーウィナーズは多く読ませていただきましたのでここに。
 アイザック・アシモフ『わたしはロボット』原題:I, Robot、1939。邦訳、伊藤哲、創元SF文庫。『われはロボット』小尾芙佐、ハヤカワ文庫SF。 大御所アシモフロボット三原則が提示された記念碑的作品。映画化されたようですが見ていません。私は創元推理文庫版で。
 A・E・ヴァン・ヴォークト『スラン』原題:Slan、1940。邦訳、浅倉久志、ハヤカワ文庫SF 234。  ミュータントの超能力ものとしては古典的作品。読心力などをもつ新人類が現人類に迫害されて…というストーリーの嚆矢ではないかと。ヴァン・ヴォークトはむしろ『宇宙船ビーグル号』で有名で、『非Aの世界』の方が面白いと思いましたが、この作品が竹宮恵子の『地球へ』の元ネタとなったり、萩尾望都の初期作品に影響を与えていたことは有名で(本作の主人公はジョミー・クロスです)、『地球へ』ネタが使いたいがためにここに(笑)。(題名で言えば「非A(ナル・エー)の世界」は『成恵の世界』の元ネタですね)

進化テーマ

 アーサー・C・クラーク幼年期の終わり』原題:Childhood's End、1953。邦訳、福島正実、ハヤカワ文庫 SF341 冷戦期の閉塞感の中、宇宙へ進出し新人類を生み出していく人類の運命というものを描いて人々に希望を持たせる働きをした作品ではないかと思います。とても残念ながら先日訃報を伺ったばかりです。
 オーラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』原題:Odd John、1934。邦訳、矢野徹、ハヤカワ文庫 SF 221 肉体的に非モテ、頭脳は超絶的に天才の「ジョン」の成功と悲劇…でしょうか。超能力者というよりは新人類の短くも輝いた生涯を送った彼を「わたし」という旧人類の一人称で描いた作品です。
 アーシュラ・K・ル・グイン『闇の左手』原題:The Left Hand of Darkness、1969。邦訳、小尾芙佐、ハヤカワ文庫SF 252 (遺伝子操作によると思われる)両性具有人の星「冬」の物語。彼女の出世作で1970年のヒューゴー賞ネビュラ賞のダブルクラウンです。ハインラインの『異星の客』、ハーバートの『砂の惑星』とともにサブカルのカルト的なファンによって崇拝されています。なんと言っても『ゲド戦記』の作者ですから、あの雰囲気が遠くの惑星を舞台にと思えば遠からずです。私には第三の性?の描き方がとても斬新に思えました。
 クリフォード・D・シマック『都市 ある未来叙事詩』原題:City、邦訳、林克己、ハヤカワ・ファンタジー 3022(絶版) 短編による未来史オムニバス。人類の発展と都市文明の崩壊、木星への移住、地球を引き継いだ犬の文明、そして…という作品。
 オーラフ・ステープルドン『シリウス』原題:Sirius、1944。邦訳、中村能三、ハヤカワ文庫SF 191 脳科学者によって創られた超犬シリウスとその科学者の愛娘の奇妙な共同生活、そして「私」との三角関係。人々は悪魔犬とシリウスを殺そうとして…。人と動物の愛の物語の古典的作品です。
 ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を』原題:Flowers for Algernon、1966(1960:中編)。邦訳、小尾芙佐、ハヤカワ ダニエルキイス文庫DK1 知的障碍を持つ中年男チャーリー・ゴードンが脳外科手術で急速な知能の亢進を得て、そしてその知能がまた急速に失われていく悲劇が彼の一人称の日記形式で綴られる、言わずと知れた名作。これはペーパーバックで読んでも泣けました。

破滅・終末テーマ

 ジョン・ウィンダム『トリフィドの日』原題:The Day of the Triffids、1951。邦訳、峯岸久、ハヤカワ文庫SF(絶版)。井上勇、創元SF文庫(『トリフィド時代―食人植物の恐怖』絶版) 流星雨を見た翌日人々の視力は失われていて、そこに事故によって世界にばらまかれた歩行食肉植物トリフィドが襲い掛かるというパニックSFの古典です。
 リチャード・マシスン『地球最後の男』原題:I am Legend、1954。邦訳、尾之上浩司、ハヤカワ文庫 NV マ 6-5 全世界の人間が吸血鬼と化し、ただ一人の人間となった主人公に襲い掛かってくるという物語。吸血鬼伝説を科学的視点で描いたというのが面白いです。映画公開にあわせて、いつの間にか書名が変わって新訳になっていました。
 モルデカイ・ロシュワルト『レベル・セブン』原題:Level Seven、1959。邦訳、小野寺健サンリオSF文庫 5-A(絶版) 来るべき全面核戦争に備えて作られた地下壕の最深部レベル7。ここに配属された者は戸籍から抹消されもはや地上には戻れない。やがて核戦争勃発。放射能汚染は急速に地下階を汚染していき、そして…という物語。著者は政治学者で、ノンプロパーによって書かれた最終戦争ものの傑作。
 トマス・M・ディッシュ『人類皆殺し』原題:The Genocides、1965。邦訳、深町真理子、ハヤカワ文庫(絶版) 謎の巨大植物によって崩壊した文明。ほそぼそと生き残る小さな町でのサイコサスペンスといった物語。終末から希望へという安易なパターンを排し、破滅に臨む人間心理を執拗に描写した作品です。
 ネヴィル・シュート『渚にて―人類最後の日』原題:On the Beach、1957。邦訳、井上勇、創元SF文庫 核戦争が勃発して北半球が絶滅し、死の灰が南半球を覆うまであと九ヶ月という世界。人々は決して咲くことのない花を植え、娘の将来の計画を立てる。信じられないくらい静かな絶望の中、人々の終末が近づくというお話。主要な舞台がメルボルンで、映画化された時のメインテーマが「ワルティング・マチルダ」でした。ヒューマニズムに溢れた作品で、上のディッシュの作品とは好対照です。読んでいて胸が苦しくなるんですが、暖かい涙も流れます。

このいやはての集いの場所に
われら ともどもに手さぐりつ
言葉もなくて
この潮満つる渚につどう……


かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
地軸くずれるとどろきもなく ただひそやかに


 (T. S. Eliot, The Hollow Men(1925) より 井上勇訳)


 やりはじめますとなかなか大変ですので、残りはいずれまた。
 気がつけば絶版が多いですね。「かくてSFの終わり来たりぬ ただひそやかに」というのでないことを願います。
 ※ちなみに「ペリー・ローダンシリーズ」のドイツでの第1巻刊行は1961年9月8日です(日本語版は1971年)。一時の?気の迷いから、あれは130巻前後までフォローしてました。