露出狂というよりも…

 ネタにマジレスかっこ悪いんですが、とてもインスパイアされまして
 enraku_twさん@enrakuの日記「ブログのコメントを承認制にするとかどうとか。」で次の言葉がありました。

 ブログを書く人って、要は露出狂なんだと思う。



 これをブロガーに置き換えると、
 自分の考えを晒しコメントやトラックバックで反応をもらうことが楽しいのだと言える。

 自分の考えを公開したり反応をいただいたりするのが楽しい、というのは確かにあります。
 でもそれが露出狂の域まで達している人はそんなに多くは無いと感じます。(愉快犯レベルの方もいないではないと思いますが)


 じゃあどういう譬えがしっくりくるだろうと考えて、劇場型ペルソナという言葉が浮かびました。それは語源に近いペルソナ(仮面)ということで、実人格ではない、人に見られる(というより見せる)ペルソナとして振舞う楽しさがあるんじゃないかということです。
 これは何も実人格の正反対とかいうのばかりでもなくて、ちょっと大勢に向って話すことのない人が呼びかけをしてみるとか、コミュニケーションに問題があると自認する人がつぶやきを交わしてみるとか、普段粗暴だと思われている人がそれ以外の優しい面を人に評価してもらえるとか、そういうほんのちょっと従来の自分と違ったことができて、しかもそれに反応がある(少なくとも期待することができる)舞台の上でやれているような、そんな譬えがちょうどこの楽しさを表現するのにふさわしそうな人が結構いるんじゃないかと思えました。


 これはほんのちょっとした慰みで、でも少し受ければもう病みつきという人も出てくる仕組みかもしれません。ただもちろんいいところばかりでもなくて、観客席から「大根!」とかいう声がかかった日には立ち直れないような気分になってしまうリスクもあるものでしょう。


 考えてみれば、実生活で誰か他の人に「あたまがわるい」なんて言葉を使いますか? よほど親しい友人同士でならシチュエーションを想像できないでもないですが、ほんの数度言葉を交わしたりした人にそういう言葉を投げるのはあり得ないことです。もし本当にそういう人がいたとして、それは周囲から「そういう人」と思われてしまう残念な結果しか生まないでしょう。
 でもブログやブクマでそれを言える人がいるのは、そういう人が「演じてしまっている」ところがあるからではないかと思います。舞台の上で大見得を切っているような感覚ですね。観客を意識して、俳優になってしまって、それできつい言葉がでてしまうというのもこの劇場型ペルソナの弱点ではないでしょうか。


 コメントを承認制にしたほうがいいよ、というのは、真っ暗な観客席から「大根!」とか「氏ね」みたいな声が掛けられるのを避けるという意味があるのでしょう。実はコメントやブクマで声を掛けるほうの人も、歌舞伎座で「合いの手」を入れて盛り上げようとする人みたいに他の観客を意識する劇場型なのです。ですから、「中村屋!」の声も「大根!」の声も観客がいないのなら止めようという人が多いはず。コメント承認制の抑止力はそんなところにありそうです。
 ただ、これは対SBMとしては有効じゃないです。そちらは「見ない」以外に手はありませんね。
 またこれは、観客の目を意識せず対象に向っての憎しみ、歪んだ愛情、そういったものを直接投げる人にも利きません。ここらへんが弱点といえば弱点だと思います。それでも本当にそういうことをしてしまう人はそれほど多くないでしょうし、コメント制限で助かる人はそれを真剣に考えてみる価値もあるでしょう。


 ちょっとだけお言葉を借りて、語らせてもらいました。こうして面白い言葉に触発されるのもメリットの方に数えられるでしょうね。