インターナショナリズムとコスモポリタニズム

 某所で「国際というのは、インターナショナルのこと。すなわち国民を越えるという意味」云々という文言を見かけました。これにはどうも違和感を覚えます。
 国家・国民という立場を離れたところに理想を見る立場は「コスモポリタニズム」でしょう。
 たとえば、⇒コスモポリタニズム

 人類をすべて平等なものとみなし,したがって,全人類を同胞と考え,世界を家郷とみる立場をいう。Cosmos(宇宙)とPolis(都市,国家)が結びついてできた語で,世界主義・世界同胞主義・世界市民主義などと訳される。世界観として,何ものにもとらわれずに自由に生活する立場と,人種や宗教などによる区別を排し,窮極的には世界国家の樹立をめざす運動とに大別することができる。(以下略)

 インターナショナルという語感は「国家・間」というイメージを離れ難いものです。国際的連帯というあり方は考えられますが、それにしても「国を無くす」のではなく「国の違いを超えて・国どうしが」という見方が素直なものだと思われます。


 国家の枠を超えた国際主義的な観点(あるいは理想)を持つ方は少なからずいらっしゃるでしょうが、それがコスモポリタニズムなのかインターナショナリズムなのかによって話は違ってくるはず、ということは以前にも書きました。私はこの二者で言えば後者に近い立場だと思います。
 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050731
 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20051029#p2