大野病院事件

 私たちには「外からやってくるもの」におかされる病変イメージが強く、老いて死ぬ以外の死については何らかの外在因を考えてしまうようになっているのかもしれません。
 この事件で亡くなられた産婦の方のご遺族も何がしかの原因を「外に」求めてしまっていて、それが「医療ミス」の疑いというところに固着して離れなくなっていたのではないかという印象です。どこか外部に拠る原因がなければ死なずに済んだ(はず)という信憑が強かったのではないでしょうか。
 死や病の原因を外に求めるのも、その一環で医療ミスを疑うのも、それ自体としては別に責められるような手段ではありません。それを考えるのも一つの道理です。ただしそこに固着してしまうことは、およそ片目をつむって運転するように危なっかしいことに思われます。


 死を悼み、もっともっと長生きして欲しかったと思うのは人情ではありますが、もとより永遠に生きられる人間などどこにもいるはずもなく、死はミクロな細胞死からマクロな個体死に至るまで内在的にもプログラムされているというのは周知のことではないかと思います。
 生の薄皮一枚の向こうに死はいつも存在しているということを意識するのは難しいことなのかもしれませんが、あまりに死を遠ざけようとそればかりに躍起になる風潮というのはどうかなと感じます。(健康ブームにしても、メタボ云々や禁煙運動にしても、その動きの幾分かはこの「死を遠ざけたい」意識の働きかなと見えてもいます)


 そして出産にしても、ちょっと前まではわが国でも死の影がさすような大事であって、いまだに決して安全なものと認識されていない多くの国があることを考えてみれば、あまり当たり前に「病気ではない」と「死なないはずだ」と楽観的に信ずるのも本当は危ういことなのかもしれません。
 うちの妹が5月に二人目を出産しましたが、二度目の時は前置胎盤であると言われ、さらに予定日を過ぎて三週間も陣痛がないという不測の事態が起きていました。幸い結果オーライではあったのですが、一人目が問題なかったようであっても、次もまた簡単だと思うことはできないものだと縁者一同は思わされたのでした。
 またこれは先月になってからですが、うちの母が下腹部に激痛を感じ、嘔吐するということがありました。最初の見立ては便秘が原因ではないかということでしたが、結局尿路結石であるということが判明。そして母に何かアドバイスできないかと自分で調べた過程で、尿路結石の7〜8割は原因がよくわからないものであることも知りました。対処法は確立しているにせよ、現代医学もまた限界というものをその時々に持っているということをあらためて感じさせられた一件です。


 傍で第三者として見ている分にはなかなかわかり得ないこともあるとは思います。それでも今回のケースは、私たちが何を意識し、何を意識せずに生きているのかということを少し考えさせてくれたものではなかったかと思います。
 ご遺族には死は非常に残念なことではありましたが「どんなちゃんとしたうちにも事故は起きる」わけですから、どうかもう一方の目も開かれて、ご自分たちの人生と今回の出来事とのとの折り合いをつけていかれるようになればと願います。