すわりの悪さ

 昨日の記事にいただいたコメントについて、こちらで書かせていただきます。
 元をたどれば障碍者に対する暴行・恐喝事件として話題になった一つのケースがありました。
 ⇒知的障害者ら狙い暴行や恐喝、少年8人逮捕・1人相談所送致(読売新聞)
 こうしたニュースで

 少年らは、知的障害者などを狙って暴力を振るうなどしていたが、うち数人は「弱そうな相手を狙った。障害者をいじめて何が悪いのか」などと供述しているという。(上記記事より)

 といったような一節があって、そこの「障害者をいじめて何が悪い」といった言葉に対して強く皆反応したという経緯があります。


 私が見た反応は概ね二つの方向に分かれます。
 一つは、直接この犯人の少年たちの行為や態度に怒りを感じて「これはひどい」と反発するもの。(ex. http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080822-00000929-san-soci
 そしてもう一つが、この少年たちの態度は今の社会が作り上げたというように捉え、どちらかというと社会批判の視点を取るもの。中には少年たちを責める人を強く批難するものさえありました。
 この後者の見方が私にはどうにもすわりの悪いもの(筋悪のもの)に思えてしかたがありませんでしたので、(たまたま)ちょくちょく見させていただいているkmizusawaさんのところであった記事を引きつつ「わからない」ということを書いたのです。


 犯人たちが行った行為が「弱者を踏みにじる」ものであったのは言うまでもありません。しかもそこに謝罪や反省がないとされ、開き直った態度をとっている(とされる)ならば、単純にその態度は責められるものとしてあるはず。
 ところが後者の見方の論調はどこか捻ったように「弱者を踏みにじる社会」がまず前提としてある、と考えるところから演繹されているように感じたのです。
 このケース、つまり障碍者に対する暴行恐喝の犯人に対して怒りの声があがっているそれ、からどう帰納してもそうした見方、たとえばkmizusawaさんの「この少年たちと同じようなこと考えてる人は大勢いるんじゃないかな、ガキじゃないから言わないだけで」という言葉は出てこないんじゃないかと、それを一言いいたくなったのでした。
 まして少年たちを強く罰せよという声、を死刑肯定論や厳罰主義に絡めて(>同じようなものとして)批判する語り口は(これ自体はkmizusawaさんに直接関わらないのですが)、どうにもちゃんとした脈絡を欠いているのではないかと思えました。(少なくともこのケースでそれを語るのは疑問でした)


 「弱者を踏みにじる」態度が肯定、もしくは容認されるようになったらおしまいだろうと私も思います。であればこそ、それに対する批難が多く出てくること自体は何ら問題ではないと感じるのです。
 あえてそこに問題を考えるとして、「「弱者を踏みにじる」少年」を排除する態度についてどう考えるかといったところは確かにあると思います。弱者を排除する者を排除して社会を「健全に」保とうとすることの是非といったものです。


 少年たちが障碍者を「排除した」。
 その少年たちを罰する(≒排除する)ことを求める人たちがいる。
 前者と後者は似ている(もしくは同じものだ)。


 というのはあまりに乱暴で大づかみに過ぎる問題の捉え方ではないかと考えてしまうのですね。
 「障碍者排除」ということ自体に嫌悪感を持って「少年たちへの厳罰」を求める人を「障碍者の排除をする人と同じである」といった調子で責めることができるのでしょうか? ことはそんなに単純ではないはず。
 そういうところを考えていたもので、端緒としてkmizusawaさんの(比較的穏当な)記事から例示して解きほぐそうかと思ったのでしたが…


>antonianさん
 直接にここで出ている「弱者叩き」は少年たちですよね。その叩いた少年たちを「叩く」=批難する、ものまで「弱者叩き」と括って論じるのにはやはり無理を感じてしまいます。
 私も、誰が悪い、制度が悪いと言うことはありますが、同時に一人の社会人として目の前の悪いものを悪いときちんと言えなければ(人任せにするだけで)社会が良くなっていくだろうとは思えません。このケースで少年たちに対する反射的な批難が「悪い」とはどうしても思えないのでした。


>haineko2003さん
 煎じ詰めれば上で書いたようなことなんです。そしてこの少年たちをどう社会で扱うか、排除すべきか、するならどの程度の責任を取らせてどのぐらいの隔離・排除にするか、などは「別の話」かと思えました。
 私はどんなまっとうな社会でも、完全には弱いものいじめする人間を消し去ることはできないと思うほうなのです。私の感覚がおかしくて、それこそkmizusawaさんのように「このケースから直接」社会が曲がっているから少年たちがこうなったのだ、みたいなものが汲めるとすれば、それはそれで考え直そうとも思うのですが…