疑問

 id:kmizusawaさんの「この少年たちと同じようなこと考えてる人は大勢いるんじゃないかな、ガキじゃないから言わないだけで」を読んで…
 何で「同じようなこと考えてる人(大人)」が大勢いると思われたのか、本当にわかりませんでした。直感のようなものなのでしょうか?
 

 「障害者をいじめて何が悪い」とうそぶいた(とされる)少年たちに対して脊髄反射的に多くの非難の声が向けられたのは、多分その声を向けた人たちが少年たちに対して「異質さ」を感じて、それを異物として排除したいと瞬間的に思ってしまった…という想像の方が妥当だと考えます。
 むしろ同じようなことを考えていたのであれば、大目に見てやろう、本音のところでは一緒なんだから…となりそうなものです。これは「自分とは関係ないものだ」と思えばこそ、いなくなってしまえばいいというところに短絡するんじゃないかと。
 願わしい(と思われる)社会、障碍を持つ人をそれゆえにいじめるなんていう人がいない社会にとってこの少年たちはあまりにも異質です。むしろ障碍者をできればいたわりたいと思う人ほど、この少年たちの気持ちに寄り添うということはより困難で、理解不能なものを抱える難しさより単純に隔離・排除したくなってしまうということはあり得ることだと思います。


 あるいは本音と建前の乖離があるにせよ、匿名で(>本音の側だと思われますが)この少年たちを「理解できない」「罰を与えよ」という声が多数聞かれるということは、むしろ同じようなことを考えている人は少ないのではないかと推測させる手がかりとなるように思います。
 これはkimizusawaさんの記事に直接関係するものではないのですが、この暴行・恐喝事件に対してのブクマの反応に(死刑制度論議などにおいての)厳罰主義の影を絡ませて論じられる方もおりました。
 でも素直にみれば「厳罰主義者」などと言われてしまうような人ほど、不正や犯罪を働いた者に対する想像が欠けていると考えるのが適当ではないでしょうか(それはそれで確かに問題もありますが)。
 本音が「こういう少年たちは罰せよ。厳罰。死刑」などというように出てくるのならば、むしろ建前は「少年だから更生するだろう。厳罰反対」となっていると想像するのが当たり前じゃないかと思われるんですね。


 少なくともこの少年たちがしたことに「よくぞ本音を言ってくれた」と快哉を叫ぶ人は私には考え難いのです。「だます奴よりだまされるほうが悪いし、物事の判断基準は損得だけ」という考えが社会のどこかに存在するとしても、このケースでだまされたのは普通の大人ではなく障碍を持った若者です。そこまで弱者を叩きたいなんて考えている人が多いとは思えません(私の想像を超えます*1)。
 記事を作った人も、この記事がよりセンセーショナルに、感情的反発を以って煽れる―興味を引くだろうと思ったからこそ、「障害者いじめ」という部分を強調した記事に書いたのではないだろうかと感じるのですが…。

*1:というより、よりサディスティックな何か、嗜好のように受け取るしかないでしょう