スマイルと笑いの違い(フフン)

 微笑み(スマイル)は意識的、笑いは基本的に無意識。
 笑みも笑いだろうというカテゴリ論は横に置いといて、笑いは意識の内側から漏れ出てくる(もしくは突出する)ものなのに対して、微笑みというのは要するに「作り笑い」だと考えられます。
 ただこの「作り笑い」が妙に悪者にされるのも可哀想な話で、これは対面する相手との関係を良好に保とうとする文化的な作為です。好意の互酬性(返報性)というものがありまして、人は好意を向けられた相手には好意を以て返したくなる文化的な規範を多く持ちます。関わりの薄い他者に対しては特にこの面が強く働き、笑みに対して笑みで返すことで害意のなさを表明しあうという規範は様々な社会で見られたものです。
 互いのため(もちろん相手のためでもある)微笑みは、決して「本心を隠す」というネガティブな側面からだけ捉えられるものではないと言えます。


 福田氏の会見で見せる「フフン」は、残念なことにこの微笑みではありませんでした。表情としては微笑みの形をとりつつ、彼の内側から漏れ出てくる「冷笑・憫笑・苦笑・嘲笑…」の類、つまり「あなたとは違いますから」という無意識の笑いが彼の口角を通して現れてしまったもの、それが「フフン」だったのです。


 「作り笑い」が拒否反応を伴う理由の多くは、演技が下手なためだと思われます。好意を相手に見せることに失敗して、衣の下の鎧が見えてしまっているから「作り笑い」が忌避されてしまうということです。
 とても上手に相手に好意を見せることができれば、それは良好な関係を相手と結ぶきっかけとなるはず。
 それは決して「フフン」になってはいけない、ということですね。