どこが違うのか

 ネットカフェで男児産み捨て 30歳女を逮捕

 横浜のインターネットカフェのトイレで9月29日、利用客が男児を出産した事件で、神奈川県警神奈川署は2日、保護責任者遺棄の疑いで、住所不定、無職の大崎薫容疑者(30)を逮捕した。「お金がなくて育てる自信がなく、置いてきた」と容疑を認めているという。


 男児は発見後すぐに病院に搬送され、命に別条はないという。


 調べでは、大崎容疑者は9月29日午後8時ごろ、横浜市神奈川区鶴屋町インターネットカフェ「知・好・楽」横浜西口店の女性用トイレ内で男児を出産。トイレ内の清掃用具入れの中に、男児をポリ袋に入れて遺棄した疑い。(後略)
 (MSN産経ニュース 2008.10.2)

 この報を聞いた瞬間、ネカフェで赤ちゃんを産んで置いてきた容疑者と熊本市の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に赤ちゃんを置いていく人との違いは何だろう?と思えてなりませんでした。
 端的には「ポリ袋に入れて」というところ、清掃用具入れの中に隠すようにというところなどで、赤ちゃんが死んでも構わないという未必の故意があったと判断される方向にいくかなと思うのですが、ことはそんなに単純とも思えません。


 単に「身近にこうのとりのゆりかごがなかった」というだけの差かもしれません。慈恵病院に赤ちゃんを置いてくる人が善意で(赤ちゃんのことを本当に考える人で)、ネカフェに置いてくる人は悪意(赤ちゃんのことはどうでもいい人)などと誰が言い切れるでしょう。
 いい加減な気持ちで、ただ面倒くさくならないようにとこうのとりのゆりかごを使う人がいないとは言えませんし、この容疑者の人も身近にゆりかごがあればそれを使っていたかもしれないのです。ただ熊本まで行くお金がなかっただけなのかもしれません。
 他者の意図など軽々に判断できるものではありませんから。


 通称赤ちゃんポストというものを本当に許容すると社会が考えるなら、なるべく早いうちに同様のものが全国に作られるべきだと思いますし、この容疑者のお母さんが断罪されなければならないというのなら、こうのとりのゆりかごの存在を今一度問い直す必要があるのではないかと思ったのでした。