以前は確実に「貧困層」だった自分
「雪斎の随想録」で引かれていたこの記事、
日本の所得格差は中位、10年でやや縮小 OECD調査(NIKKEI NET)
世界の主要国と比べた日本の所得格差は中ぐらいで、1990年代半ば以降の10年間ではほかの国での格差拡大とは対照的に日本では格差がやや縮まったことが経済協力開発機構(OECD)が21日発表した格差分析リポートでわかった。企業のリストラなどで家計の実質所得が減るなかで、格差拡大が抑えられたとみられる。(後略)
(21日 22:45)
同じOECDのレポートから「拡大する経済格差、日本は14.9%が「貧困層」」というようなブログ記事も書かれていて、おやっと思ったのですが、直接のレポート(日本語による概要のノート(pdf))では確かに
日本の所得格差と貧困は、長期にわたる拡大傾向に反して、過去5年間で縮小に転じた。
とあって、後者の記事は「世界的に拡大する経済格差」と「日本の貧困層」についての二つの話について一つのタイトルを付けたものだったかと気付いた次第。
しかしジニ係数を用いた格差論議や、このOECDの貧困水準(所得分布の中央値の2分の1未満で生活する人の比率)での話に関しては、個人的には以前からあまり実感とうまくマッチしないなと感じられていたものです。格差の拡大だと言われていた時も、少し格差は縮まったという話の時もです。
いずれ上の「格差縮小」の話は高所得層の減収で差が縮まったということなのでこちらに実感も湧きようがないことなのですが、貧困層の話のほうは、私自身三十代前半までその定義に引っかかるようなポジションにいただけに一言あります。
所得のメディアンの50%未満を「貧困層」として問題化するというのはやっぱりどうかなと思うのです。言ってみればこれは第3四分位数より下を貧困としているわけで、どういう統計でも出て来ざるを得ないものです。全体に豊かであるとか貧しいとかは関係なく、必ず一定数いるものを「貧困」と名付けるのは適当なのだろうかと思うんです。この層の内実を他国と比較するといったところには有効かもしれませんが、同一国だけの話にこの区分を持ってきてああだこうだするのは「平準以外はだめ」とでもするのでない限りあまり意味のあるものとも思えないんですね。
そんな以前の「貧困層」の私ですが、さすがに年収が二百万そこそこで犬を飼うというのはやや苦しいところがありました*1。ですが家賃が低い地方に在住している限り結構何とかなるものでした。それなりに楽しいこともあり、時々なら贅沢もできました。ささやかなものですが。
問題は「将来への希望」というあたりでしょう。不確かなものではあっても将来的に何かあると思えていたら、食べるに事欠く絶対的貧困でない限り(特に若ければ)何とかできるものだと思います。
まあそれでとりあえず何とかなった現在、少しでも景気のためにと考えてオーブンレンジを新品で購入しました。ネット上の最安値より1万ほど高くても地元の電気店で。最近はやりの過熱水蒸気調理の機能があるほうをです(これだけで何万か高いですが)。
ところが、今年発売のそうした新型を買ったのに…取説を読んでみると「トーストは焼けません」とか書いてあるし orz。
今朝はガスレンジのグリルでトーストを焼きましたよ。まあ目を離すとあっという間に焦げてしまうので気が抜けませんが、うまくこつをつかめば「外はパリッと中はしっとり」で焼けるようです。
*1:特にわんこが病院に行ったりするときは