イイヒト問題

誠実。オタク。非モテ。(増田)

思うにオタクと言われる人たちの中には誠実過ぎるが故に女性と縁がないって人が多数いるのではないかなと。女性に優しすぎる。こう書くと「積極的になって嫌われるのが怖いだけだろ?」って言う人がいるかもしれないけど違う。違うの。本当に優しんだ。扱いが丁寧なんだ。女性は大切にって言うのが伝わって来るんだよ。だから強引にとか荒々しくとかありえない。飲み会に参加した女性に友人たちの印象を聞いてみたら、皆さん優しくて良い人達ばかり。でも一言で言えば「人畜無害」、男性として見れないと言われた。

 ここで書かれたプラスイメージの言葉は次のようなものです。

 根っから良い人 
 礼儀正しく紳士的
 誠実(過ぎる) 優しい(すぎる)
 扱いが丁寧 女性は大切に
 強引にとか荒々しくとかありえない

 イイヒトっていうのがなかなかもてないという話は二十年前からありまして、ここで言われる「誠実でオタクな非モテ」というのは以前の「イイヒト」そのままなような感じを受けます。「イイヒト」についても「人畜無害」とか「男性として見れない」とか言われていました。


 イイヒトの問題点というのをいろいろ考えてみたことがありますが、なによりイイヒトになる(でいる)ことが一般に美徳ではあったとしても恋愛方面においてはセールスポイント、「売り」にならないということがあったと思います。
 イイヒトというのも案外千差万別で一口に語るのも難しいのですが、概ね優しい人、誠実で律儀な人という点はあると思います。それは人として大事と言いますか礼儀正しく好まれる態度ではありますが、恋愛対象に求められる美点では必ずしもないということですね。
 もしそれが要求されるにせよ交際が始まってからとか結婚なんかを考えてからとか、あくまで二次的な段階であって、マーケティングとしてはこれを強調しても対象にはアピールしないというところでたぶん間違ったプレゼンなのではないかと。
 イイヒトであることが報われるとしても、それはもてるとかもてないとかいう次元ではないということです。


 普通ならここに気付くのにそんなに苦労するはずがないんですが、イイヒトを強調して不遇を嘆く方々に共通する(ように見える)ことは、イイヒトじゃない人間がもてたりして、そこに不条理さを感じてしまって(熱くなって)目が眩んでしまっている場合も散見されるような気がします。


 どういうのがもてるかと言われていたかですが、以前はワルイヒトっていうのがもてるのだということでした。ここで注意しなければならないのは「ワルイヒト」は「やな奴」ではないんですね。
 ワルイヒトとやな奴の差違も難しいです。どこかルッキズムの部分(イケメンに限る)も関係しているとは思えていましたし。ただそれが全部でもないだろうと思います。
 「やな奴」になりたくない。ならないようにしたい。という希望はまっとうなものだと思います。気性が良くてお育ちの良い?人はおそらくそちらへ向かいます。そしてイイヒトになってしまうわけです。ワルイヒトにはならなくて。


 概念も錯綜していて簡単には言えないのですが、もしかしたらそこにあるのは積極的に意志を通そうとする姿勢かもしれないと考えたこともあります。自分勝手に意志を通そうとするのは往々にして「良くない」ことなのですが、世の中はわからないものでそれが通る場合があります。
 これに対して自分勝手は止めようという態度はたいがい「良い」ものなのですが、いつまでも引いていたらなかなかいろんな意味できっかけにならないということだけは言えます。こういう立場ではかなりの僥倖を待たなければうまいこといかないはずです。


 高橋しんのマンガで『いいひと』というのがありましたが、あの主人公は恋愛には奥手で鈍いし「都合のいいひと」と扱われることだってあったはずです。でも彼は(恋愛以外の)コミュニケーションには馬鹿正直ですごく積極的だったと憶えています。
 自分勝手は嫌だとイイヒトを目指すとしても、こういう在り方もできるんだなと思えましたし、案外何かのヒントになっているかもしれません。