国語の授業
まあずーっと前の高校の国語の時間、教科書には遠藤周作の『沈黙』が割と長めにとられていました。
『沈黙』はその後自分で買って読んでいまだに部屋の書棚にある本ですし、読んで涙ぐむときもあるような本なのですが、その時は…
かわりばんこに朗読する声を聞きながらひまだなあと感じて、『沈黙』のネタ化をしこしこ始めていました。単純に、文の一部を伏せ字にするだけなのですが。
それでも、フェレイラは黙ったまま、挑むようなうす笑いを頬に浮かべ続けていた。××しい卑×な微笑から、挑むような表情をとるまでのフェレイラの×が手に×××ように×××。わかるだけに、××はこのまま××のように××てしまいたかった。
「何か、××て、下さい」
××は喘ぐような声で言った。
「もし、私を××××下さるなら、何か、××て、下さい」
…
「さあ」フェレイラはやさしく××の方に手をかけて××た。「今まで誰もしなかった一番××愛の行為をするのだ」
…
「さあ」とフェレイラが言った。「勇気をだして」
…
「ああ」と××は震えた。「痛い」
で、これを休み時間になったら友達に見せて面白がってもらえるだろうかなんて考えて、そういう妙なことばかりしていたのでした。80年か81年のことだったと思います。
あれほどの作品でも、授業で読まされるとこういうこともあるという例として…*1