形を変えたトロッコ問題

 震災チャンス発言 井戸・兵庫知事、撤回も謝罪もなしasahi.com

 「関東大震災が起きれば、(関西経済に)チャンス」。11日、近畿ブロック知事会議でそう発言した兵庫県井戸敏三知事はその夜、神戸市内で急きょ開いた記者会見で「震災が望ましいとは言っていない。備えが大切だと訴えたつもりだ」と釈明に追われた。発言の撤回や謝罪はなく、防災に携わるボランティアらからは「非常識」「言葉を失う」と、厳しい声が相次いだ。


 「なぜ、こういう質問を受けているのか理解できない」。会見した井戸知事は何度も困惑した表情を浮かべた。(後略)
(2008年11月12日)

 昨日の話の続きになるのかな、という話。
 おそらく井戸知事は功利(主義)的な話をしただけだと考えていて、倫理に悖るような話ではないと思っているのではないでしょうか。

 関東大震災が起きれば相当ダメージを受けるから、これはチャンス。チャンスを生かさないといけない。防災首都機能、第二の首都機能を関西が引き受けられるように準備が必要だ

 一つの仮定の下に、危機にどう対処すべきか(したいのか)を語ったものと見れば確かにリスクマネージメントの方向で語ったとも受け取れる発言です。知事の発言を問題視しないという意見表明があるのを見ても一方的に断罪されるような言葉と決めつけるのも難しいでしょう。

 …阪神大震災の犠牲者遺族らでつくるNPO法人元理事長、白木利周(としひろ)さんは「不適切な感じはしない。地震が発生すれば大阪や兵庫が団結して復興に当たり、関西の活性化にもつなげるという意味だと思う」。中林一樹(いつき)・首都大学東京教授(都市防災論)も「復興への協力の決意表明であり、東京への応援歌ではないか」と理解を示している。

 でも政治は論理だけの世界ではありませんし、自分(たち)に都合のいい仮定だけ設定してそれを「チャンス」と(あたかも心待ちにしているのではないかと思われるような表現で)語ったところは不用意でもあり、その仮定しか想定しないのはリスク管理の発想からもまるで不十分と言わざるを得ません。
 本人の心情はどうあれ、政治家としては不適切な表現に思われるのは否めないと考えます。


 ただし私は、いろいろな発言の言葉尻を捉えて「よき人間」ではない「人間の本性に悖る」とでも言いたげな(ところの多い)昨今の報道にはいささか危惧も感じています。
 立場の高い者が発言に注意しなければいけないのは確かですが、揚げ足取りみたいな報道が薄っぺらな道徳(感情)を振りかざして行われるだけならば、それは遠く魔女狩りへもつながりかねないようなポピュリスティックな方向に見えてしまいます。
 失言の類をあげつらうのではなく、行った(あるいは行おうとしている)行為への正当な批評・批判があって欲しいと思うのは望みすぎでしょうか。揚げ足取りならそこそこ賢ければできます。でもきちんとした批判はよほど深く考えなければできないでしょう。易きに流れるのが人の常とはいえ、個人的に誰彼を叩けばよいという(それがあたかも正義であるかのような)風潮は見苦しいと感じます。
 特に政治家の発言は、本来次の選挙で「良民」の選択を受けるのが筋であると思いますので、個人攻撃に過ぎる(首を取ろうとでもいうように見える)報道は、メディアの権力性といいますか衣の下の鎧をちら見させるようで不快にもなります。